能を日本中に流行らせた観阿弥と世阿弥の父子。
彼らが能を成長させていくときに得た知見や学びをまとめたものが「風姿花伝」です。
はるか昔に書かれたこの本ですが、現代にも通ずるポイントがいくつもあります。
この記事では、そんな世阿弥「風姿花伝」について解説していきます😆
世阿弥とは
![世阿弥](https://852852.smushcdn.com/1828211/wp-content/uploads/2018/04/Zeami_e.png?lossy=1&strip=1&webp=1)
世阿弥(1363-1443)は、室町時代初期に活躍した能役者です。
父親に観阿弥を持ち、幼少期から能についての才覚があったとされています。
この観阿弥・世阿弥の父子は、能をあまり目立たない存在から、大人気の大衆演劇にまで成長させた張本人となります。
幼いころから、時の将軍である足利義満などに可愛がられて育った世阿弥は、将軍のお抱えとして成長します。
将軍や貴族など、豊かな教養を持つ人々と多くの時間を過ごしたことで、彼は芸術に関する知見を洗練させていきます。
そんな彼の人生のターニングポイントは、観阿弥の死でした。
世阿弥が22歳の時に、観阿弥は亡くなります。
それがきっかけとなり、世阿弥は能の未来を背負っていくこととなります。
彼は新たな能のシステムや枠組みを作り出し、それは後世にまで引き継がれていくのでした。
「能」とは
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能とは、日本の伝統芸能である能楽の中の1つです。
日本版ミュージカルといったところでしょう。
はるか昔から存在していた能ですが、室町時代に観阿弥・世阿弥という天才父子が現れたことによって、大枠が完成されます。
現在の能はかしこまった印象を抱きますが、昔の能はもう少し大衆芸能よりだったことで知られています。
村や町の人が集まり、飲食をしながらワイワイと楽しく観るもの、それが能だったのです。
一般的に能はそれ自体が作品であり、それらに優劣はないように考えられています。
しかし、本来の能には”立ち合い”という戦いの場がありました。
現代で言うところの”コンテスト”のようなものです。
そして世阿弥が書いた「風姿花伝」には、この立ち合いに勝つための戦術や作戦も書いてあります。
世阿弥「風姿花伝」の解説
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「風姿花伝」は世阿弥が書いた能に関する秘伝書です。
内容は能に関する歴史から美学、演出の方法まで様々です。
そして、「風姿花伝」のおもしろいところは、全ての教えが能だけではなく人生にも適応できるという点です。
能という1つの存在を成長させるための学びからは、人生を上手に生きるためのエッセンスを得ることができるのです。
この章では、そんな「風姿花伝」の具体的な内容について解説していきます。
幽玄
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世阿弥の功績の1つに、新たな美しさの概念を作り出したことが挙げられます。
彼は能とは美しく素晴らしいものである、というブランドを確立しました。
世阿弥はこれを”幽玄”と表現しました。
幽玄とは、そのもの自体が美しく、計り知れないほどの趣があること
ブランドと言えば、現代ではGUCCIやCHANELなどが思い浮かびます。
しかし、これらは歴史が浅く、生まれてから100年ほどしか経っていません。
一方、世阿弥の生み出した”能”という幽玄なブランドは、600年前からあるのにもかかわらず、いまだに色あせることがありません。
そこに彼の素晴らしい才能があるのです。
花
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風姿花伝のキーワードは”花”です。
世阿弥は能を考えることにおいて、”花”をとても大切にしていました。
”花”とはいったい何でしょうか?
花とは、大事なもの、真実なもの、という意味があります。
花とは、大事なものや真実なものを指す
世阿弥は常に、花のある能役者を目指していました。
観客に感動を与えられ、他の人にはないような自分だけの花を求めていたのです。
そして彼は「風姿花伝」の中で、花を使った言葉をいくつも生み出します。
珍しきが花
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”珍しきが花”とは、観客にとっては珍しいことが花となる、ということを意味しています。
つまり、何か珍しいことをするのが観客を楽しませるためには大切なのです。
珍しきが花とは、珍しいことが感動を生み出すことを指す
一辺倒の芝居だけを続けていては、観客は飽きてしまいます。
年中同じ芝居をしていても、観客は飽きてしまいます。
だからこそ、珍しさを提供するために、世阿弥は常に変化し続けることを目指しました。
同じところに留まり続けていては、観客に感動を与えることはできません。
常に変化し、常に成長することが大切なのです。
これは現代社会におけるイノベーションと同じような話です。
何年も同じ商品を提供し続けると、いつかお客さんは飽きてしまいます。
だからこそ、常に何か新しさを組み込んでいくのです。
世阿弥は次のようなことを言っています。
住する所なきをまず花と知るべし
世阿弥「風姿花伝」
住するとは、同じところに留まり続けることです。
それでは人々に感動は与えられません。
そうではなく、常に変化しなければなりません。
自分の成功体験にすがるのではなく、新たに自分を更新していきましょう。
自分の成功体験にすがるのではなく、新たに自分を更新していきましょう。
秘すれば花
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秘すれば花とは、自分が持つ最高の切り札は最後まで隠し持っておけ、という教えです。
秘すれば花とは、切り札は隠し持っておくことを指す
能役者たちは”立ち合い”の場において、常に勝負を迫られます。
もし立ち合いに負ければ貧困で寂しい生活が待っています。
誰もが立ち合いでの勝負に本気で挑んできます。
そんな環境下で立ち合いを繰り返すうちに、世阿弥はある必勝法を生み出しました。
それが”秘すれば花”なのです。
観客や対戦相手をわっと驚かせるような切り札を常に所有しておく、さらにはその存在すらも気付かせない、というのが世阿弥の戦法です。
ポイントは、誰にも気付かせないということです。
一度花の存在を知られてしまうと、それは秘密ではなくなってしまいます。
そうすると、それは珍しい事でもなくなってしまいます。
何度も見たことがある花であれば、観客はあまり感動しません。
だからこそ、その存在すらも知られないことが重要なのです。
男時・女時
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戦いには、攻め時と退却するべき時があります。
世阿弥はこれを男時・女時と表現しました。
男時 = こちらの調子が良く、何をしても上手くいくとき
女時 = こちらの調子が悪く、上手くいかないとき
勝負の場において(能における立ち合い)大切なのは、男時と女時を見極めることです。
相手が男時の時にこちらが攻めたとしても、勝つことはできません。
逆にこちらが男時だと感じているのなら、攻めるべきでしょう。
無理に変な努力をして行動しても、女時の場合は空回りになってしまいます。
自分の男時が来るまで、じっくりと待つことが重要です。
そしてこの考え方は、人生においても適用することができます。
人生にも男時と女時が存在するのです。
もし困難ことばかりが起こるのであれば、それはあなたが女時にいるからかもしれません。
そんな時はじっくりと我慢し、チャンスが来るのを待ちましょう。
そして男時になったと思ったら、一気に畳みかければいいのです。
離見の見
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能を上手に行うためには、客観的な視点が必要不可欠です。
自分自身がどのような見られ方をしているのか、どうやって行動すればより美しく見えるのか、を考える必要があるのです。
世阿弥はこのような、客観的な視点を持つことを”離見の見”と呼びます。
離見の見とは、客観的な視点を持ち、本当の自分の姿を見極めること
多くの人は、自分の思い込みやバイアスから、勝手に自分は美しいと勘違いしてしまいます。
それでは自分は満足しているかもしれませんが、観客は満足しません。
重要なのは、あなたの感じる美しいを体現するのではなく、客観的に見て評価される美しさを生み出すことなのです。
常に一歩引いて自分を観察することができるようになると、パフォーマンスは一気に向上します。
これは能だけではなく、仕事やスポーツなども一緒です。
常に主観的な目線だけを持っていては、相手の感情や思考は分かりません。
自分の最適な行動や選択も見えてきません。
離見の見を意識して、目では前を見ながらも、心の目では自分を客観的に見ましょう。
世阿弥「風姿花伝」まとめ
「風姿花伝」は世阿弥によって書かれた能に関する秘伝書です。
内容は一見すると、能を知る人にしか役に立たないように思えます。
しかし、そこには能を通して培った人間哲学があります。
この人間哲学は、人生を豊かに生きるために必要な知見を我々に提供してくれます😆
以下、記事のまとめです。
- 世阿弥は観阿弥の息子で、能の人気を大きく高めた
- 「風姿花伝」には、能の極意が書かれている
- 世阿弥は、幽玄という新たな概念を生み出した
- 珍しきが花、秘すれば花、男時女時、離見の見、などの教えがある
ぜひ参考にしてみてください。
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