デカルトとパスカルは同時代の哲学者であり、どちらともフランスの出身です。
一見、同業なので仲が良さそうにも見えますが、実はまったくそんなことはありませんでした。
両者は非常に険悪な関係性だったのです。
その理由が両者の哲学の主張の対立です。
この記事では、デカルトとパスカルの意見の対立を参考に、論理と直感の関係性について解説していきます。
17世紀、デカルトとパスカル

デカルトとパスカルは、どちらとも数学者であり、哲学者です。
パスカルの著作として「パンセ」があるのに対して、
デカルトの著作には、「方法序説」があります。
パスカルのパンセについてはこちらで詳しく解説しているので、ぜひご覧ください。
両者は哲学的観点より、意見が度々対立していました。
具体例を見てみましょう。
人間の理性は…
デカルト「万能である」
パスカル「限界がある」
世の中は…
デカルト「全てに原因と結果がある」
パスカル「偶然によって左右されることがある」
もし決断に迷ったら…
デカルト「あくまでデータ重視」
パスカル「時には直感を信じる」
このように、両者の意見は綺麗に2つに分かれていました。
簡潔にまとめるのであれば、
デカルトは論理を信じ
パスカルは直感を信じた
ということです。
17世紀~現代はデカルトの時代

両者の思想対立は、結果的にデカルトの勝利に終わりました。
というのも、世界は論理追求を選んだのです。
科学万能を信じ、全ての事象のメカニズムを解明しようとしました。
17世紀以降の近代社会(現代社会)はデカルトの思想で成り立っています。
- 世界は因果関係で成り立っている
- 全ての事象を科学することで、メカニズムを解明することができる
- これらの因果関係を理解することができれば、生命や宇宙を制御することができる
このような思想の元、人類はありとあらゆる物を開発していきました。
- 物理
- 科学
- 経済
- 宇宙
- 生命
数えきれないほどの発見と、ありとあらゆる分野での発展が起こりました。
人類は、世界は複雑であっても、その因果律を追求していくことができれば、必ずコントロールすることができる、と考えていたのです。
科学・論理の限界

しかし、近代になってそんな科学万能の限界が見えてきたと言われています。
色々な分野において、最先端の学問ですらも証明することができない因果律が増えてきているのです。
具体例を挙げましょう
- GAFAの台頭(経済)
- 細胞分裂の臨機応変さ(生命)
- 人間の脳内処理(生命)
- 量子力学の超ひも理論(物理)
- 物理学の波動方程式(物理)
- コロナウイルスの蔓延(科学)
あらゆる分野の最先端は、新しい壁にぶつかっています。
GAFAの台頭は、今までの論理的な説明では解明しきれません。
生命が誕生して、受精卵から子供になるまでのプロセスにも必ず因果関係がある、と研究が進んでいますが、細胞同士の反応は非常に臨機応変で、自然発生的にその場のシチュエーションによって反応を変えている、と言われています。
その他数多くの、論理だけでは解明しきれない分野が存在しています。
パスカルの主張

パスカルは、合理的な因果律だけを追求したところで、全てのことは分からない、と主張しています。
メカニズムの追求を通して、世界を理解しコントロールしようとする人間には、ある種の放漫さがあると説いているのです。
パスカルは次のような言葉を残しています。
「理性の最後の行動は理性を超えるものが無限に存在することを認めることである」
科学は万能ではないこと、理性や論理をどんなに追求してもはるかにそれを超えるものが存在すること、を理解するまでが科学だと説いたのです。
人間は生まれ変わる

デカルトの名言次のようなものがあります。
我思う故に我在り
ルネ・デカルト
それに対抗するように、パスカルは次の名言を残しています。
人はみな変わる。 過去の自分はもはや現在の自分ではない。 悩む者も悩ます者も、時がたてば別人になる。
ブレーズ・パスカル
簡単に言うと、デカルトは自分と認識している限り、それは自分であると考えます。
一方、パスカルは自分と認識している存在も、実は生まれ変わっている(別人になっている)と考えます。
これらの発言を最先端生物学ではどう捉えるのでしょうか?
実は、最新の生物学では人間は生まれ変わること再発見しています。
我々の体は細胞や、さらに小さな分子や粒子のレベルで、ものすごいスピードで合成と分解を繰り返しています。
人間の細胞は日々入れ替わっているのです。
消化管の細胞は2-3日で入れ替わります。
一年もたてば、人間は物質レベルで全くの別人に入れ替わっているのです。
つまり生物的観点から考えると、人間は生まれ変わっている、と理解するのが正しいのです。
人間の自己の一貫性を主張し、人間の自己はコントロールできるものだと主張したデカルトの意見は、ある種間違っていたと言えるのです。
自分の身体を始め、何かを完全にコントロールしたい、という人間の欲求にはおこがましさが含まれます。
どんなに論理を追求してもたどり着けない限界の存在を知ることが重要なのかもしれません。
直感を信じる

論理的なメカニズムの追求には、いつか限界が来ます。
もし論理が完璧なのであれば、
- リーマンショック
- 東日本大震災
- 原発事故
- コロナウイルス
これらは全て発生しなかったはずなのです。
結局我々が理解しているメカニズムなど、大きな自然の中の一部でしかなく、ある時の一瞬の転換によって、合理性は崩壊してしまうのです。
そこで重要なのが、パスカルの主張する”直観”なのです。
合理的に論理的に科学的に正しい、これが証明されたとしても、自然はこれをはるかに上回ってくるでしょう。
ですから、この合理的な考え方に直観という保留を設けるべきなのです。
合理性に満足するのではなく、そこに直観的な補助を加えることで、メカニズム思考の落とし穴を回避することができます。
例えば福島第一原発を襲った津波の高さは14-15メートルでした。
これは想定の3倍であり、原発は深刻な被害を受けました。

これは、科学的に合理的に津波の高さを想定(土木学会の津波の評価指針に基づいて津波の高さを想定)していたから起こったのです。
そこで科学は万能ではないことを理解し、直観を加えることが重要です。
つまり、津波は5メートルと科学的には予測されているが、自然はこれをはるかに上回るから、もっと高めに設計しよう、といった感じです。
合理的は突き詰めると非合理になる

上記の事例を実際に行うことは非常に難しいでしょう。
言葉だけで言うのと、実際に行うのでは難易度が全然違います。
実際はそんな上手くはいかないかもしれません。
しかし、合理的とは突き詰めると非合理になることを理解するのは大切です。
現代社会では、合理的で論理的に正しい、という回答が求められます。
科学万能の時代があまりにも長かったので、科学的に正しいものでないと、世間は受け入れてくれません。
つまり、この社会では論理的に正しいものを作らなければいけない、という強迫観念に囚われているのです。
しかし、世界は何度でも更新されます。
科学的に正しい、論理的に正しいにも限界があるのです。
どんなに問題を解決しても、また新たな問題が生まれます。
だから我々は、科学や論理、合理主義に囚われることなく、自分の直観を信じて生きていくことが大切です。
完璧なんてものはこの世界には存在しません。
絶対的な正解も存在しません。
だから、論理に偏重するのではなく、直観の重要性も理解しましょう。
まとめ
デカルトとパスカルの意見の対立から、現代社会の方向性について解説しました。
論理だけではなく、直感を重視することが、新たな可能性を生み出していくコツなのかもしれませんね。
以下記事のまとめです。
- デカルトとパスカルの哲学的主張は対立していた
- デカルトは論理を、パスカルは直感を信じていた
- 17世紀から今までの時代は、デカルトの科学万能を信じていた
- しかし、近年科学の限界が見えてきた
- 論理だけに偏るのではなく、直感を大切にすることが大事
ぜひ参考にしてみてください😆
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