古代ローマ、五賢帝時代最後の皇帝であったマルクス・アウレリウス・アントニヌス。
彼は皇帝でありながらも哲学者でもあり、多くの民から敬愛されていました。
そんな彼が日々の哲学の実践を書き記した書が「自省録」です。
この記事では、マルクス・アウレリウス「自省録」について解説していきます😆
マルクス・アウレリウスとは
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121-180)とは古代ローマの第16代皇帝です。
軍事よりも学問を好み、ストア派哲学を実践し、善く国を治めたことで有名です。
彼の内省を綴った本である「自省録」は今でも高い評価を得ており、多くの人の心の支えとなっています。
ローマが平和と繁栄を築いていた時代に、マルクス・アウレリウスは生まれます。
皇帝に仕える名門貴族の生まれだった彼は、一流の家庭教師や学者によって育てられます。
多くの学問を学ぶ中で、彼が特に熱中したのは古代ギリシャのストア派哲学でした。
あまりに傾倒しすぎて、12歳にして地べたで寝るようなり、母親に怒られた経験もあるようです。
彼は18歳のときに、15代皇帝アントニヌス・ピウスからの指名を受け、時期皇帝になることが決まります。
哲学者を目指していた彼は悩みますが、運命を受け入れ皇帝となることを決意します。
昼は仕事、夜は哲学という生活を送り続け、161年には皇帝に即位します。
39歳という若さで皇帝になったマルクス・アウレリウスの前にはいくつもの困難が待ち受けていました。
戦争に災害、さらには家族の死などです。
それでも彼は、哲学を通して自分を律し、皇帝としての仕事をまっとうしていきます。
そして、彼の心の葛藤が描かれているのが「自省録」なのです。
マルクス・アウレリウス「自省録」の解説
「自省録」とは古代ローマ16代皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌスによって書かれた本です。
160年頃から約20年にわたって書かれたとされています。
この本は自分の内面についての分析をし、己を律するための言葉がかかれた手記となっており、もともとは他人に読まれる予定はありませんでした。
しかし、羊皮紙などに何度も書き写されていった結果、写本として残り、それが1559年に初めて印刷・出版されることとなります。
内容については非常に人間的であり、政治性はほとんどありません。
しかし、ストア派の哲学の影響を色濃く受けた彼の文章は、読む人に生きる希望とパワーを与えてくれます。
彼が自分の戒めとして書いた「自省録」は、今や名著として多くの人の生きる指針となっているのです。
「自省録」の内容
この章では、自省録の具体的な内容について解説していきます。
己や家族、国民たちをありとあらゆる困難や災いから守ることができるのは、哲学ただ1つである、と信じていたマルクス・アウレリウスの言葉には、非常に重みがあります。
ストア派の哲学
マルクス・アウレリウスの自省録は、ストア派の哲学をもとに描かれています。
ストア派の哲学とは、運命をいかにして克服していくかを説く哲学です。
ストア派の哲学とは、運命を克服する方法を説く哲学
ストアというのは、古代ローマの宮殿にあった柱が並んだ廊下のことを指します。
哲学者がよくそこに集まって議論をしていたので、ストア派という名前が付きました。
現代におけるストイックという言葉は、ストア派から派生した言葉です。
間違った判断をしない
ストア派の考え方の軸の1つに、間違った判断をしない、というものがあります。
人間は無意識のうちに判断をしてしまうので、それが不幸の原因になっているというのです。
マルクス・アウレリウスは表象という言葉を使って、この現象を説明します。
表象とは、心の中に刻印される映像のことを指します。
表象とは、心の中に刻印される映像
物事を観察し、それを認識しただけでは、そこに良いも悪いも存在しません。
物事を観察し、それを認識しただけでは、そこに良いも悪いも存在しません。
ただ映像が頭に思い浮かんでいるだけです。
しかし、人間はこの表象に余計な判断を加えてしまいます。
これは良い事である、これは悪い事である、といったようにです。
例えば、あなたの友人があなたの悪口を言っていた、と知ったとしましょう。
おそらく多くの人は、”自分が傷つけられた”、と悲しくなってしまうと思います。
しかし、ストア派の哲学をここで導入すると、”自分が傷つけられた”という判断を加えたのはあなたである、と解釈することができます。
つまり、あなたが悲しんで悩んでいる事態は、あなたの判断が加わったから発生したのです。
悪口という表象に対して、あなたが”悪い事である”という判断をしたから、あなたの苦悩は生まれたのです。
善悪無記
全ての事物は、それそのものに善悪がないことを善悪無記と言います。
善悪無記とは、全ての事物は、それそのものに善悪がないことを指す
多くの人は、このような善悪無記を忘れてしまい、物事に対して絶対的な価値を感じてしまいがちです。
- 財産
- 地位
- 名誉
- 成功
- 容姿
- 健康
これらのものは、善悪無記です。
これらを持っているから善いとか悪いとかはありません。
ただ表象があるだけです。
それに対して価値判断をしているのは、あなた自身なのです。
悲しみは不幸ではない
表象への価値判断が人間の幸不幸を分けます。
全ての事象に対して価値を決めているのは、あなた自身なのです。
これを踏まえると、”悲しみは不幸ではない”ことも分かるのと思います。
あなたは悲しいという表象に対して無意識的に”不幸である”、と価値判断しているかもしれません。
しかし、よく考えましょう。
なぜ悲しいという感情は不幸であると言い切れるのでしょうか?
悲しい事=不幸であると思い込んでいるだけではないですか?
どんな困難であっても、自分を見失わず、悲しみを真正面に受け、耐えることは幸福なのです。
悲しみを味わうことができるからこそ、人間は成長できるのです。
今後はお前を悲しみに誘うものにあっても
常に次の原理を用いることを覚えておけ。
それは不幸ではない
むしろ、それを気高く耐えることが幸福である。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス「自省録」
宇宙の秩序(ロゴス)
ストア派の哲学の軸の1つに、ロゴスという概念があります。
ロゴスとは、宇宙の秩序を指します。
また、宇宙の秩序は理性や自然とも呼ばれます。
これらは全て、物事を正しく判断する能力を指しています。
ロゴス=宇宙の秩序=自然=理性=物事を正しく判断する能力
ストア派の哲学では、人間はロゴスの一部であると考えます。
そして、ロゴスに従って生きることが、自然と一致して生きること、つまり幸福に生きることである、と考えます。
自分の内を掘れ
人間が幸福になるには、ロゴスに従う必要があります。
そして、人間はロゴスの一部であると考えます。
これらから分かることは、我々は自分の内面に正しい秩序が存在している、ということです。
自分に本来備わっている理性を掘り起こすことで、我々は表象に対する正しい価値判断ができるようになり、それは幸福の獲得に繋がるのです。
マルクス・アウレリウスは自省録という内省を通して、己のロゴスを探求し続けました。
判断を誤るたびにそれを訂正し、言葉として書き記していったのです。
理性に従うことで正しい判断ができ、それが自分の幸福、さらには国民の幸福に繋がると信じていたのです。
徳(アレテ―)
幸福になれるように正しい判断をする理性をロゴスと呼びます。
そして、このロゴスを上手に働かせることができることを”徳(アレテ―)がある”、と称されるのでした。
徳がある人は、正しい価値判断をできるので、幸福になれるのです。
では、どうすれば徳は得られるのでしょうか?
これは、自分に問いかけ続けるしかありません。
善いとは、自分の為になるという意味です。
悪いとは、自分の為にならないという意味です。
善い=ためになる
悪い=ためにならない
全ての表象がどちらに属するのかを選び続ける必要があるのです。
そして、間違ってしまったと思ったら、次からは逆を選ぶように努めることが重要です。
全ての事象はあなたの価値判断次第で、いくらでも表情を変えることができます。
徳を伸ばして、幸福になれるように努力することが大切です。
運命を受け入れる
ストア派の哲学における運命論は、起こることは全て正しく起こる、自然に反することはない、というものです。
運命は起こるべくして起こる、自然に反することはない
マルクス・アウレリウスは哲学者になりたいという夢を捨てて、皇帝になることを決断します。
これも、運命は自然に反することはない、という運命論に従っての結果です。
どんな困難でも、それは起こるべくして起こっているのです。
喜んで受け入れましょう。
一方で自然に反している状態も存在します。
- ブラック企業
- ブラック部活
- いじめ
- その他
表象の原因が人間の場合は、自然に反していることが多々あります。
そんな時は、一旦自分の中での価値判断をして、それでも悪いことであると認識したのならば、逃げましょう。
表象に対する受け止め方は自由です。
人間の自由意志に従い、自分のロゴスを信じ、考えた結果”ヤバい”と思ったら逃げましょう。
人間は、困難に立ち向かうと同時に、困難から逃げるという選択をすることもできます。
大切なのはその選択の結果ではなく、あなたがロゴスに従えたかどうかです。
今この瞬間を生きよ
ストア派の哲学では、”今この瞬間を生きる”ことに注目します。
これがストア派の哲学の極意なのです。
ストア派哲学の極意とは、今この瞬間を生きること
過去は既に生き終えました、未来は悩んでも何が起こるか分かりません。
だから、我々人類には今この瞬間を全力で生きることしかできないのです。
多くの人は人生を直線的に捉えています。
自分が生まれてから死ぬまでを一本の線として考えているのです。
しかし、マルクス・アウレリウスはこれを”点の連続”として捉えました。
今この瞬間の連続が人生であり、人間には今この瞬間を生きることしかできない、ということを理解していたのです。
今この瞬間が本番である
多くの人は先のことを意識しすぎて、今この瞬間にするべきことを見失っています。
- 将来のための勉強
- 老後のための貯蓄
- 人生の楽しみはとっておく
これらの行動は、ロゴスに反しています。
人生は今この瞬間が本番です。
人生にリハーサルはありません。
勉強だって、受験のためにやっているわけではありません。
今この瞬間に新しいことを学べて楽しいから、勉強するわけです。
待ち望んだ将来はやってくるかわかりません。
やってきても、実は期待は外れでそこまで楽しくないかもしれません。
そうではなく、全ての瞬間を全ての行為を人生最後のように認識することが大切です。
待ち望んだ将来は今この瞬間であることを理解しましょう。
理想を掲げよ
過去と未来に囚われるのではなく、今この瞬間を生きましょう。
その上で、理想を掲げましょう。
理想とは、自分がそうありたいと思う姿のことです。
- お金持ちになりたい
- 人の役に立ちたい
- 平和な世界を作りたい
理想を掲げたら、それは今この瞬間にもう叶っていると思い込みましょう。
理想を未来のことだと思っていると、それは未来に囚われているだけです。
人間には今この瞬間しかありません。
理想を立てたのなら、それは今この瞬間に達成したと思い込みましょう。
理想は今を生きるための指針です。
理想を今この瞬間に叶ったと思い込むことで、あなたの価値判断は変わります。
正しい価値判断をすることを毎瞬繰り返していくことで、人間は幸福になれるのです。
もしあなたが”人の役に立ちたい”という理想を掲げているのなら、今この瞬間から人の役に立ちましょう。
何かを達成しないと、人の役に立てないなんて決まりはありません。
”理想を掲げた上で今を生きること”が重要なのです。
マルクス・アウレリウス「自省録」まとめ
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは彼の人生を通して、ストア派の哲学を体現しています。
「自省録」とは、そんな彼の実践と反省が詰まった書です。
この本には、我々の人生を大きく変えるほどの力が秘められているのです。
以下記事の要約です。
- マルクス・アウレリウスとは古代ローマ16代の皇帝である
- 「自省録」とはマルクス・アウレリウスの自己対話の書である
- ストア派の哲学とは、運命をいかに克服していくかを説く哲学
- 全ての物事に善悪は存在せず、人間が勝手に価値判断をしている
- ロゴスに従う生き方が幸福な生き方である
- 運命とは起こるべくして起こる
- 今この瞬間を生きるべきである
ぜひ参考にしてみてください😆
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