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フーコー「言葉と物」を分かりやすく解説:エピステーメーとは

哲学
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社会学や政治学に大きな影響をもたらしたフーコー。

彼は、フランスのポストモダニズム哲学者の代表格として今もなお多くの支持を得ています。

彼の著書である「言葉と物」は、非常に難解でありながらもそのユニークな視点から、彼の名前を一躍有名にさせた作品です。

この記事では、そんなフーコーの「言葉と物」について解説していきます。

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フーコーとは

Wikipedia参照

ミシェル・フーコー(1926-1984)とはフランスの哲学者です。

知性や権力、性についての研究を行ったことで知られています。

彼の哲学は分類が難しく、構造主義者と世間的には認められていながらも、自らは構造主義を批判しており、後にポスト構造主義者として認知されるようになります。

彼の主な著書には、「言葉と物」「監獄の誕生」「性の歴史」などがあります。

フーコーは1926年にフランスのポワティエにて生まれます。

幼いころから文学や歴史に興味のあった彼は、パリのアンリ四世校という名門校に入学、次の年には高等師範学校エコール・ノルマルに入学します。

彼は結果的に、哲学、心理学、精神医学の学位を取得することとなります。

ちなみに学生時代は、同性愛者であることと、あまり社交的ではないことに悩んでいたそうです。

1950年にリール大学の助手となり、以降スウェーデンのウプサラ大学にて教鞭をとり、またフランス・インスティテュート所長を務めます。

1966年には「言葉と物」を出版、彼の名前が世に知れ渡ることとなります。

以降彼は、当時の代表的思想家の一人として、ジャック・ラカンやクロード・レヴィ=ストロース、ロラン・バルトらと並ぶ存在になります。

1970年にはコレージュ・ド・フランスの思考体系史教授に選ばれています。

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フーコー「言葉と物」の解説

「言葉と物」(1966)はフーコーによって書かれた哲学書です。

内容が非常に難解であることで知られる本作は、理解に時間がかかる作品でもあります。

ただ、知識や学問は文化によって大きく左右されることを主張した本書は、今でもなお示唆に富む内容となっています。

以降、詳しく解説していきます。

エピステーメーとは

フーコーはエピステーメーという基本概念を用いて知識や学問を読み解いていきます。

エピステーメーとは、一定の時代と社会における知的枠組みを指す

エピステーメーは、各時代において存在する無意識的な思考の枠組みを表わすのです。

この、人々が気付かないうちにその時代の思考の方向性や世界観に影響されている、という考え方は、学問の見方を変える非常にユニークなものでした。

人間は基本的に連続性を好みます。

学問や知識体系は常に進化し続けており、それぞれの知の領域を発展させてきたと考えます。

しかし実際は、過去と現在でこれらの見方は異なっている、というのがフーコーの主張です。

各時代の文化によって閉じ込められたエピステーメーは、学問や知識体系に多大なる影響をもたらすのです。

以降、各時代のエピステーメーについて詳しく見ていきましょう。

中世のエピステーメー(類似)

中世のエピステーメーは、類似と呼ばれます。

中世の人々は、類似という名の思考の枠組みに囚われていたのです。

類似のエピステーメーとは、世界の関係性を類似の観点から読み解く思考の枠組みを指す

世界は類似性によって成り立っており、これらを解明することで世界の真実を知ることができる、という思考は当時は当たり前のものでした。

例えば、頭蓋骨の形と似ているクルミを食べれば、人間の頭部の病気は治る、などの教えが存在していました。

また、人間と植物の類似性や、天と地の類似性に注目し、学問を発展させていきました。

ただ、この類似という観点は、無限の組み合わせをもたらしてしまうという残念な点があります。

よって、現代の我々から見ると、中世の学問は豊富だけど一つ一つの内容は貧困と言えてしまいます。

言葉と物がごちゃごちゃ

中世の知識体系の特徴は、言葉と物に区別がなく、両者がごちゃごちゃに合わさったものである、ということです。

類似というエピステーメーから世界を観察すると、物は新たな物との解釈を生み出し、その解釈もまた別の解釈を生み出すという、ある種の無限連鎖が発生します。

そしてこれらの物を記述する言葉すらも、類似によって新たな解釈を生み出すのです。

これらの繰り返しによって、中世の世界では言葉と物、つまり虚構と現実が混ざってしまったのです。

当時の世界では、人から聞いた事実も、自分の目で観察した事実も、区別されることなく存在していました。

博物学の書物には、現存する動物と空想のドラゴンが一緒に書かれています。

現在からすると違和感しか感じませんが、当時の人々にとっては、これが正統派だったのです。

古典主義時代のエピステーメー(表象)

古典主義時代のエピステーメーは表象と呼ばれます。

この時代の人々は、同一性相違性を主軸とした比較によって世界の秩序を読み解こうとします。

表象のエピステーメーとは、同一性と相違性を主軸とした比較によって世界の秩序を読み解く思考の枠組みを指す

上記2つの性質を軸に事物を整理していくと、世界は票のように分かりやすくプロットすることができます。

フーコーは、このような平面的な知的体系を「タブロー(表)の空間」と呼びます。

古典主義時代には言葉と物が分離します。

タブロー(表)の空間において、知識体系を構築するには、言葉と物を繋ぐ表象や記号を用いる必要があります。

よって当時の人々は、人間が使用する表象や記号を中心として学問を発展させていきます。

フーコーはこれらのように、表象や記号を用いて世界の秩序を発見していくことを、「タブロー(表)の学」と名付けます。

近代のエピステーメー(人間)

近代のエピステーメーは人間であると、フーコーは言います。

古典主義時代において物と言葉が分離し、近代では物と言葉の間に人間が入り込むのです。

今までは、物と言葉が分離したことによって生まれた表象を中心に考えられていましたが、その表象自体がなぜ成り立つのかを考えると、人間という存在が必要となります。

人間のエピステーメーとは、人間という概念を取り込み、世界の秩序を解明する思考の枠組みを指す

物と表象の関係性において、その間に人間が入ることによって初めて経験することできます。

カントは人間というエピステーメーに乗っ取って、「純粋理性批判」の主張を生み出しました。

今まで神の位置で物と言葉の関係性を観察していた人間が、観察される側にも回ったこと、それが近代の特徴的な部分なのです。

事物を平面的な分類法で分けるだけでなく、垂直な方向への分類ができるようになったことで、近代の人々は人間という概念を生み出しました。

3つの学問

古典主義時代から近代へのエピステーメーの変革を如実に表わす学問として、フーコーは3つを例に挙げます。

それが、生物学、言語学、経済学です。

これらの学問は、表象から人間のエピステーメーの変化に伴い、大きな変化をもたらしました。

  • 博物学  → 生物学
  • 一般文法 → 言語学
  • 富の学問 → 経済学

過去の博物学は表象に着目していましたが、「生命」という概念が追加されてから、生と死という新たな枠組みが生まれ、生物学が誕生します。

一般文法では、表象による言語分析ではなく、「時間性」や「歴史性」を主軸に捉えるようになり、言語学が発展します。

富の学問には「労働」という概念が加わることで、同じく時間制や歴史性が付与され、経済学が生まれます。

人間のエピステーメーは更なる抽象的な思考を可能とし、これらの変化を生み出したのです。

人間の終焉

近代になって誕生した人間というエピステーメーも、いずれは終焉を迎えると、フーコーは言います。

現代において研究が進む構造言語学や文化人類学が、人間という存在の概念を解体する学問だからです。

いずれ、人間に代わる新たなエピステーメーが生まれることとなるでしょう。

現在の世界観は打ち砕かれ、次なる知が発生するのです。

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フーコー「言葉と物」まとめ

フーコーは「言葉と物」を通して、文化によって生じるエピステーメー(知的枠組み)が、人類の知的体系や学問に大きな影響を与えていることを主張しました。

彼の知識に対するメタ的なアプローチは多くの示唆を与えてくれます。

また、人間が気付かないうちに時代の思考バイアスに影響されているという事実を知ることも重要です。

ぜひ参考にしてみてください。

  • フーコーはフランスの哲学者である
  • エピステーメーとは時代や社会の知的枠組みを指す
  • 中世、古典主義時代、近代と人類のエピステーメーは変化してきた
  • 物と言葉の関係性の変化は、多くの学問・知識体系に影響をもたらした

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