「つれづれなるままに~」で始まる有名な随筆「徒然草」。
名前は聞いたことがあるかもしれませんが、中身を知っている人は少ないでしょう。
徒然草には、兼好法師が生涯で発見した、人生を上手に生きる方法についてが沢山書いてあります。
この記事では、そんな兼好法師の「徒然草」について分かりやすく解説してきます😆
兼好法師とは
徒然草の著者である兼好法師は、鎌倉時代から南北朝時代を生きた、官人であり随筆家です。
本名を卜部兼好(うらべのかねよし)といい、京都の神社の出身です。
幼いころから非常に賢い子供で、常に真実を追求する姿勢を持っていたそうです。
この姿勢は生涯貫かれることになり、「徒然草」にもその姿勢が反映されています。
20代にしてその優秀さから朝廷に仕えていた兼好でしたが、ある時仕えていた天皇が亡くなります。
彼は官人を辞め、出家して京都近郊に暮らし始めました。
そこでも彼は才能を開花させ、ついには和歌四天王にも数えられるほどとなりました。
最終的に兼好は、その地で生涯を終えることになります。
一般的な彼の評価は”何者でもない器用貧乏”だとされています。
非常に多くの才能に恵まれながらも、なかなか機会に恵まれず、何一つ大成させることができなかった人だと言われてるのです。
ただ、”何者でもない”というのは誉め言葉でもあります。
つまり何者にもなれなかったからこそ、考え方が自由であり、思考の幅がある、と言えるのです。
彼の1つの思考にとらわれない姿勢は、「徒然草」の神髄となっています。
兼好法師「徒然草」の解説
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「徒然草」とは、もともとは天皇のために書かれていた帝王学の教えでした。
詳細には、後二条天皇に仕えていた兼好法師でしたが、彼が亡くなってしまったことをきっかけに、彼の息子である邦良親王の家庭教師になることが決まります。
「徒然草」は、邦良親王を立派な人間に育てるために書かれ始めた、帝王学の教えであったのです。
しかし、そんな邦良親王も20代で亡くなってしまいます。
世の中は無常である、全てのことはあてにならない、そう感じながらも兼好法師は、「徒然草」を書き続けます。
心を自由に解き放った兼好が書く文章は、次第に帝王学から一般大衆向けの趣味論的な物へと変化していきました。
結果的に完成した「徒然草」は、非常に高い評価を受け、清少納言の「枕草子」、鴨長明「方丈記」とならび日本三大随筆の一つと称されるようになります。
ちなみに「徒然草」は、その何にも囚われずにビシバシと物事をぶった切る姿勢から、矛盾が多くて説教臭い、という感想を持たれがちです。
これは事実であり、兼好法師の面白いところでもあります。
彼の柔軟な視点から繰り出される、はっきりとした物言いは、時として矛盾をはらんでいるようにも思えます。
しかし、そんな中に彼の無常観や価値観、死生観が現れているのです。
上達の極意
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「徒然草」には広い範囲にわたる実践的な上達論が描かれています。
効率的に物事を上達させるためには、何を意識すればいいのでしょうか?
兼好法師は、以下の5つを意識せよと言ってます。
- 優先順位をつけよ
- 恥を捨て、人前に出よ
- 真似でも行動せよ
- 環境を整えよ
- バランス感覚を持つ
1つずつ詳しく見ていきましょう。
優先順位をつけよ
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あなたが本当にやらなければいけないことは何でしょうか?
置かれている現状を客観的に捉え、今一番やるべきことを最優先で行う、これが1つ目のポイントです。
徒然草では、次のような例が挙げられています。
ある親が子供を法師にして稼がせようとしていました。
まず親は子供に馬の乗り方を教えます。
なぜなら、法師ともなると数多くの場所をめぐることになるため、乗馬のスキルが必要だと思ったからです。
次に親は子供に歌謡を習わせます。
なぜなら、法師が偉い人と酒を酌み交わすことになった際に、何か一芸が欲しいと思ったからです。
これらが熟練してきたので、やっと法師の本業である説教を習わせようとします。
しかし、肝心な説教を習うことはできませんでした。
なぜならその暇が無くなってしまっていましたからです。
すでに年を取ってしまっており、説教を習う余裕がなくなってしまったのです。
多くの人は大事なことを後回しにしてしまいがちです。
しかし、物事は早く行わないと手遅れになることが多々あります。
しっかりと優先順位をつけましょう。
恥を捨て、人前に出よ
日本人の美徳として、上手になるまでは決して人には見せないというものがあります。
しかし、それではいつまでも練習をしているだけで、実践がありません。
物事は実践を積み重ねるからこそ上達していきます。
だからこそ、恥ずかしいという感情があっても、人前に出て挑戦をするべきだと兼好は言います。
真似でも行動せよ
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まずは真似ることから始めよ、というアドバイスです。
効率的に上達をするのであれば、一流から学ぶのは重要です。
いらないプライドは捨て、一流の人を真似して行動を積み重ねましょう。
環境を整えよ
どんなにやる気があっても、環境が悪かったら集中できないから上達もしない、という意見です。
これに賛否両論ありそうですが、事実でもあります。
試験勉強を工事中の建物のとなりの部屋でやっていても、成績は良くはならないでしょう。
仕事場がゴミだらけだったら、どうしても作業に集中できないでしょう。
どんなにやる気を出しても、周りが集中できない環境であれば、上達することはできないのです。
自分が上達をするためにまずは環境を整えましょう。
バランス感覚を持つ
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ある程度まで上達してきた際に気を付けなければいけないことがあります。
それが”バランス感覚”です。
多くの人は、自分が能力を開花させてくると、だんだんと調子に乗ってくるようになります。
だからこそ、兼好は普遍的な上達の極意として”バランス感覚を持つ”ことを重要視しました。
徒然草では、以下のような事例を書いています。
- 弓の名人であれば、二本目の弓は持たずに自分を追い込め(二本目を持つと、二本目があるから大丈夫だろう、と一本目の緊張が緩む)
- すごろくの名人であれば、”勝つこと”ではなく”負けないこと”に注力せよ
- 博打の名人であれば、引き際を意識せよ
安心は失敗の元であること、完璧は崩壊の前兆であることを、兼好は分かっていたのです。
このように、偏った考えを持つことはリスクを伴います。
バランス感覚を持って、常に最適な選択を取ることを目指しましょう。
世間という魔物
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「徒然草」において、兼好は”世間(大衆)とは自惚れと見栄の集まりである”ということを言っています。
世間とは、自惚れと見栄の集まりである
世間にはありとあらゆる思惑が働いています。
群集心理に見栄と嘘、数えればきりがないほどの欺瞞に満ちていると兼好は言うのです。
見栄と自惚れ
あなたは今までの人生の中で、数多くの見栄を見てきたでしょう。
それは兼好も同じでした。
彼は次のような話を「徒然草」に書いています。
ある神社に2体の狛犬が飾ってありました。
普通とは向きが違うこの2体を見て、偉い人は
「何か深い意味があるに違いない、味わい深い」
と言い、部下もまた
「確かにそうですね、素晴らしい」
と同調していました。
そして、後でその神社の神主にその訳を聞いてみました。
すると、ただ近所のいたずら小僧が毎回いたずらで狛犬の向きを変えていただけであったのです。
見栄を張った偉い人も、何も考えずにただ同調する部下も、どちらとも見栄に翻弄されてしまっています。
どちらの行動も、見栄を求めた人間の過度な自意識がもたらしたものです。
群集心理
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群集心理もまた、時として非常に危険な状況を生み出します。
小さなエゴイズムが大きな恐怖を生み出すのです。
群衆が集まり、そこで事件やパニックが発生すると、現場は無秩序状態になってしまいます。
兼好はこれもまた理解していたのです。
- 花火大会などでの、将棋倒し
- 1人の人間に対する過度なバッシング
- 暴動などに乗じた、通常時では許されない犯罪行為の発生
人間の群集心理には多くの危険性があります。
そして、その危険性は現代であっても変わりません。
世間の嘘は世の常
兼好は、「世間に伝わっていることは全て嘘だと思え」と言っています。
世間に伝わることは、全てうそだと思え
時間や場所、つまり時間軸と座標軸が情報の発生源から離れれば離れるほど、情報の信憑性が下がると、兼好は言っています。
現在であれば、情報の伝達速度は以上に早くなっていますが、逆に誰でも情報を発信できる時代になっているので、より情報の信憑性を疑う姿勢が大事になってきているのかもしれません。
少なくとも、世間一般に言われている情報のほとんどは、誰かの見栄や自惚れ、または群集心理などが引き起こした”嘘”である可能性が高いと言えるのでしょう。
世間に翻弄されないために
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では、どうすれば嘘と欺瞞に満ちた世間に翻弄されずに済むでしょうか?
兼好は一言「賢くなれ」といいます。
世間に翻弄されないためには、賢くなる必要がある
賢い人とは、世の中を一歩引いて客観的に評価できる人のことを意味します。
真に賢い人であれば、世間の嘘を見抜き、上手に対応しているはずなのです。
自分が賢いと己惚れることもなく、他者との比較をせずに人と争わず、世間を見通すことが大切なのです。
人生を楽しむコツ
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兼好は人生を楽しんだ人でした。
この世の煩わしさを捨て、無常を悟りながらも、柔軟に物事に対応して生きていました。
自分の思考が偏りすぎたと思ったら、逆を意識することができる、そんなバランス感覚に優れた人間だったのです。
「徒然草」とは、そんな彼の人間的な多面性をそのまま文学に落とし込んだ作品となっています。
この章では、兼好の人生を楽しむコツを3つ紹介します。
1人の時間を持つ
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1人の時間を意識的に作り出すことがとても重要だと兼好は言います。
社会との関係を断絶するのではなく、適度に他者との関係性を築き、適度に1人の時間を作り出すことが大切なのです。
多くの人は他人に合わせすぎた結果、健康を損なう、気分を害するほどの外部との関係を保とうとします。
兼好はこの悪い外部との関係を断ち切りなさいと言います。
1人の時間は楽しい事である、ということを理解し、1人の時間を大切にしましょう。
ちなみに、兼好は1人が好きで世間を嫌い、他者との関係は最小限であることから、社交的ではなく実はシャイなだけではないか、という意見があります。
しかし、そんなことはないようです。
彼はとても人間的であり、実は孤独を大切にせよと言いながらも、他者との交流を楽しんでいました。
例えば、兼好は女好きであったことが知られています。
言っていることとやっていることに若干ずれがあるところが、兼好の良いところなのかもしれません(笑)
人に優しくする
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人間は誰も完璧な存在になることはできません。
だから、自分に対しても他人に対しても100点を求めるのは辞めましょう。
誰に対しても、多少の弱さを受け入れてあげる優しさを持ちましょう。
それが人生を楽しむ極意であると、兼好は言います。
不完全だからこそ人間味があるのです。
細かいことまで指摘して完璧を目指すのではなく、その状況にあった最適な優しい選択を選ぶことが大切です。
具体例として「徒然草」には次の話が載っています。
海外からきた高僧が、自国を想って悲しいんでいました。
それを見た人々は、偉い人なのに気弱で頼りないな、と彼を貶しました。
しかし兼好は、彼を「お坊さん気取りではなく、奥ゆかしい」と表現しました。
尊敬の対象である僧侶にも、人間的な弱さは存在しているのです。
それを認めてあげたうえで、優しさと誠意を持って対応することが、幸せな人生を送るためのコツなのです。
退屈を楽しむ
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「徒然草」の徒然とは、所在ない、退屈、手持ち無沙汰であることを意味します。
何もすることがなく、退屈な時間を指すのです。
しかし、そんな退屈な時間こそが究極のリラクゼーションであると、兼好は述べます。
物事は全てなるがままになることを理解し、退屈であることを幸福だと認識できるようになることが、人生を上手に生きる極意なのです。
花は咲いているときだけに美しさがあるのではありません。
花が咲く前も、花が咲いた後に散り行く姿も、全てに風情があり、美しさがあるのです。
完璧を求めることなく、その全てを愛することが大切です。
これは人生に対しても同じことが言えます。
大きな成功を収めたその瞬間、他者から認められたその瞬間だけが幸せなのではありません。
そこまでに至る過程や、その後の去り際まで、全てが美しく幸福なものなのです。
自分という存在のありのままを愛することが、この諸行無常の世の中を幸せに生きるコツなのです。
兼好法師「徒然草」まとめ
兼好法師の書いた「徒然草」には、人生を上手に生きるためのコツが散りばめられています。
それは、彼が生涯の中で経験してきた数多くの学びを元に描かれています。
人間の本質はいつの世も変わりません。
現代人が「徒然草」から得られる学びは非常に多いでしょう。
以下記事のまとめです
- 「徒然草」とは兼好法師によって書かれた随筆である
- 上達の極意とは
- 優先順位をつける
- 恥を捨て、人前に出る
- 真似でもいいから行動する
- 環境を整える
- バランス感覚を持つ
- 人生を楽しむコツは
- 1人の時間を持つ
- 人に優しくする
- 退屈を楽しむ
ぜひ参考にしてみてください。
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