アーレントはユダヤ系ドイツ人の哲学者です。
彼女はナチスドイツが引き起こした悲劇的な事件の根本原因である全体主義という思想を、生涯をかけて研究しました。
なぜ、善良な市民たちはナチスを支持し、ヒトラーを生み出したのでしょうか?
この記事では、アーレント「全体主義の起源」について解説していきます。
アーレントとは
ハンナ・アーレント(1906-1975)はユダヤ系ドイツ人の哲学者・思想家です。
全体主義などの思想を生み出す大衆社会の分析で知られており、主に政治哲学の分野で活躍していました。
主な著書に「全体主義の起源」があり、2013年には「ハンナ・アーレント」という映画も公開されています。
ユダヤ系ドイツ人の裕福な家庭に生まれたアーレントは、幼少期から自由主義的な考え方を持ち、宗教には関心を抱いていませんでした。
彼女にとっては、民族も宗教もあまり重要ではなく、単なる事実として存在していました。
社会との軋轢などを感じることはなく、普通に育ちます。
しかし、1933年にヒトラー内閣が発足、台頭し始めたナチスがユダヤ人を敵視することで状況が一変します。
無条件でユダヤ人を逮捕し始め、アーレントもまた捕まってしまいます。
結局釈放された彼女は、フランスに逃れますが、ナチスはフランスまで侵攻してきます。
1940年にはパリもナチスドイツに占領されてしまい、彼女は夫とともにアメリカの亡命します。
そこで全体主義や反ユダヤ主義に関する研究を始めるのです。
戦後彼女はナチスに関する資料を調べ上げ、「全体主義の起源」を書き上げます。
アーレント「全体主義の起源」の解説
「全体主義の起源」は、全体主義を生み出す大衆社会の分析を行った本です。
なぜ全体主義的思想が広まったのか、なぜ全体主義は暴力に向かったのか、などが解説されています。
著者はアーレントで、1951年に出版されています。
全部で3巻あり、「反ユダヤ主義」「帝国主義」「全体主義」という構成になっています。
以降、具体的な本の内容について解説していきます。
全体主義とは
まず大前提として全体主義とは何でしょうか?
全体主義とは、個人が政府に異を唱えることを禁止する思想または政治体制であり、一党独裁的な面が強く、政府に反対する政党の存在も認めません。
独裁的な統治者によって階級分けされた政治システム内において、その権威は一切の制限がなく、公私問わず国民生活への自由な介入が可能となります。
全体主義の”全体”は、「個人の利益よりも全体の利益を優先する」という意味が込められています。
全体主義とは、個人よりも全体の利益を優先する、という理念の元、個人が政府に異を唱えることを禁ずる思想・政治体制
全体主義の主な具体例には、ナチスドイツやファシストイタリアなどが挙げられます。
主な特徴として以下のようなものが挙げられます。
- 政権の不誤謬性
- 民主主義の否定
- 表現の自由の弾圧
- 恐怖による警察政治
- マスメディアの独占
- 軍国主義
近代のマスコミュニケーションと兵器の技術進歩によって,初めて可能となったとされています。
ドイツの歴史的背景
この章では、ドイツの歴史的背景を踏まえながら全体主義の流れを見ていきます。
国民国家の出現
ハンナ・アーレントは全体主義の起源の1つに”国民国家の出現”があるとしています。
国民国家とは、国民が言語や歴史、文化などを共有している状態の国家を指します。
国民国家とは、域内の国民が言語・歴史・文化を共有している状態の国家である
ナポレオン登場以前は国民意識や国民国家としての色はあまり深くなかったとなれています。
なんとなく分けられた地域内で一緒に暮らしている人々は、お互いに仲間意識があったりすることもなく、国家に対する帰属意識も高くなかったのです。
しかし、ナポレオンの侵攻によりフランスに支配されるようになると、その地域内の国民意識は急激に高まりました。
自分たちの自由を取り戻すという名目のもと、国民は国家の一員としての行動するようになったのです。
国民国家という言葉を分解すると以下のようになります。
国民国家 = nation-state
nation = 文化の共有を自覚している人たちの集団
state = 官僚・警察・軍隊などの組織
国民国家とは、いままでは両立させることが難しいとされていた、nationとstateを合体させる傾向があるのです。
外部勢力からの侵略支配によって自由を失った国家の人々は、急激に国民意識を高め、国民国家を構築していきました。
人種思想
ドイツでは国民国家の出現によって、国民意識が急激に高まります。
国民国家とは国民が言語・歴史・文化を共有してる状態です。
そんな状況の中、ユダヤ人が内部の異分子として浮上し始めます。
ドイツ人と比べて、歴史や文化に多少なりとも違いがあるユダヤ人は、国民国家の根底を揺らがせる危険な存在として、排除の対象となるのです。
このように、人間には種類があり、優劣が存在している、と考える思想を人種思想と呼びます。
人種思想とは、人間には種類があり、優劣が存在することを認める思想
ドイツ人はドイツ民族こそが最上位の民族であり、他の民族を支配するのが当たり前である、という思想を深めていき、ユダヤ人の排除を正当化していきます。
そもそもこの人種主義が生まれたのは、19世紀末のイギリスやフランスなどの帝国主義的な植民地化政策が原因だとされています。
植民地化されたアフリカの国々は、経済が発展していく中で、自治に目覚めていきます。
現地の人々は、なぜ自分たちは支配される対象になるのか、なぜ支配されなければいけないのか、と主張するようになります。
そんな彼らに対する回答として、帝国主義的国家が出した答えが”人種思想”だったのです。
白人は優れていて経済的・政治的に発展した国家を築いている。
だからこそ、植民地を広げることで野蛮な人々を治め、発展させていってあげる義務がある。
もしくは、世界を治める使命を神から与えられている。
と考えたのです。
この差別的な思想ともとれるような人種思想は、ヨーロッパ大陸全土に広がっていき、ドイツの国民国家と結びついていくのです。
民族的ナショナリズム
ドイツが全体主義に至るまでの経緯の中で、もう一つ特徴的な思想があります。
それが民族の統一を目指す、民族的ナショナリズムです。
民族的ナショナリズムとは、血族(民族)共同体として、民族の統一を目指す主義・運動
国民意識の高まったドイツ人の中で、同じ血族である人々との統合を目指す流れが生まれ始めます。
これはつまり、ドイツ人の住む地域を取り戻そう!という流れへと繋がっています。
本来は同じ血族でありながら、今は別の国の領土に閉じ込められてしまった同胞たちを助け出そう!という思想です。
この思想はヨーロッパ内の他国への侵略を肯定する思想であり、非常に危険なものでしたが、戦前のドイツでは一般的となっていました。
ナチスドイツについて
この章では、全体主義の代表例であるナチスドイツについて、より詳しく見ていきます。
分かりやすい世界観
ナチスドイツはなぜ国民の支持を得ることができたのでしょうか?
それは、彼らが分かりやすい世界観を国民に提供することができたからでしょう。
前述の人種主義と民族的ナショナリズムの潮流があったドイツには、全体主義に進む準備ができていました。
あと必要だったのは、それらを一つに分かりやすくまとめあ上げることでした。
それを成し遂げたのが、アドルフ・ヒトラーだったのです。
ヒトラー率いるナチス政党は、マスメディアなどを上手に活用し、人々に新たな世界観を提供します。
ドイツ人は本来もっと優れた人間である!ということや、大切な同胞を取り戻すために戦おう!ということを国民に吹聴していったのです。
- ユダヤ人は敵
- ドイツ民族が住む地域は全てドイツの領土
上記のような分かりやすい世界観は国民に受け入れられていったのです。
大衆社会の弊害
ドイツがナチスを生み出した原因の中に、大衆化という現象が挙げられます。
ドイツはワイマール憲法(1919年)を制定してから、議会制民主主義を導入しました。
この憲法のおかげで、ドイツでは議会を中心に政治がまわるようになり、それはつまり、あらゆる人が政治に影響を持てるようになったということです。
一見すると素晴らしい変革に思えますが、勿論良くない点も存在します。
例えば、政党や利益団体に属しておらず、自分たちが何をすれば幸福になれるのかが分かっていないような国民でも、政治に影響を与えられるようになったのです。
自分たちの方向性が分からない、もしくは定まっていない人々は、ナチスの功名なマスメディア扇動によって、全体主義へと傾倒していきます。
アーレントは市民社会と大衆社会を分別して考えます。
市民社会とは、政治意識を自覚した人々が主体的に意見する社会です。
国民は利益や理念などを元に、それぞれの政党を支持します。
一方、大衆社会では、自分が何を要求したらよいかも分からない受け身な人々で構成される社会です。
国民は自分が気に入った世界観を提供してくれる政党を待っています。
ドイツは民主主義を導入した結果、大衆化の流れが顕著に表れ、それがピッタリとナチスの世界観にはまったのです。
大衆化社会については、オルテガ「大衆の反逆」にて詳しく解説しています。
巧妙な仕組み
ナチスは、ユダヤ人が裏で世界を操っている、という壮大な物語を作り出します。
嘘の世界観ではありながら、そこには一貫性がありました。
そんな魅力的な世界観に導かれ、大衆たちは自己を確立させていきます。
世界や社会の本来のあるべき姿や、優良な民族の歴史的使命を繰り返し聞かされ、そんな虚構の世界を信じ込んでいくのです。
ナチスの社会的構造は非常に優秀でした。
秘密結社のごとく組織内部でヒエラルキーを構成し、その中では構造的・段階的な嘘が散りばめられていました。
重要な構成員(ヒエラルキー上層部)は外の世界から守られ、その世界観が崩壊することのないようにされていました。
それはある種、現実ではなく嘘の理想的な世界を行きたい、という人間的心情の要求にはるかに叶っていたのです。
一貫性を持った嘘が準備され、人間関係は全てピラミッド型のヒエラルキーに当てはまります。
都合が悪い事実が出てくると、それは君がまだヒエラルキーの上に行けていないから教えてもらえないだけだ!と主張されます。
もっとナチスのために働けば、より深い真実を教えてもらえる、と教育された党員はさらに熱中して働くようになるのです。
誰もが悪になり得る
全体主義について理解したうえで、我々が学ぶべきことは何でしょうか?
アーレントが伝えたいことは、誰もが悪になり得る、ということでしょう。
ナチスを支持し、ヒトラーを生み出し、ユダヤ人を大量虐殺したのは他でもない国民一人ひとりです。
民主主義社会において、国民は自らの権利を行使してユダヤ人虐殺を選んだのです。
誰もが悪になり得る具体例として、アドルフ・アイヒマンという収容所の責任者の話があります。
彼はユダヤ人移送の責任者として、大量のユダヤ人をアウシュビッツ強制収容所まで運んでいました。
そんなことをするんだから、相当な極悪人であったのだろう、と多くの人は考えていましたが、実は彼はごく普通の人間でした。
ドイツの中流階級に生まれ、ナチスに入党、普通に昇進していった単なる役人だったのです。
ユダヤ人の虐殺は、悪意を持って起こされた事件ではなく、ナチスの世界観によって引き起こされたものであり、どんなに当事者の話を聞いても、悪の部分はでてこないのです。
アイヒマンは、法律と制度をしっかりと守る善良な市民だったのです。
法に従って秩序を守り、仕事をしていただけであり、その仕事内容が農作物の運搬ではなくユダヤ人の運搬に変わっただけなのです。
複数性を受け入れる
では、同じような出来事を起こさないために、自分が当事者になったときに倫理的・道徳的に正しい判断ができるようになるためには、どうすればいいのでしょうか?
アイヒマンの事例の問題点は、法のもとにある普遍的な道徳への無思想性であると、アーレントは主張します。
つまり、何も考えずに機械的に作業していることが問題だったわけです。
思考停止でロボットのように仕事をしていたら、気付いたときには悪をなしている可能性があります。
思考停止を辞めるためには、複数性を受け入れる必要があります。
複数性とは、自分と異なる思考をする人間の存在を意味する
つまり、他者と自分の意見を絶えずぶつけ合い続けることで、モノの見方を柔軟に変化させ続けていくことが重要なのです。
法律も制度も完全ではありません。
思考停止で盲目的に誰かの言うことに従っていたら、人間の道を踏み外す可能性があるのです。
アーレント「全体主義の起源」まとめ
アーレントは「全体主義の起源」を通して、大衆社会における全体主義の起源やその危険性について研究しました。
彼女は、再び全体主義の大惨事を起こさないための対策として、常に複数性を意識することが大切だと言います。
自分に対する反対意見が出たときに、冷静に論理構造を展開し、どのような道徳的原理に基づいた主張なのかを把握したうえで、自分の意見をもう一回考えなおす、このようなプロセスが大切になるのです。
ぜひ参考にしてみてください😆
以下記事のまとめです。
- アーレントとは、ドイツ系ユダヤ人の思想家・哲学者である
- 全体主義とは、個人よりも全体の利益を追求する思想体形
- ドイツのナチス党は国民の意思によって生み出された、主な原因は人種によって優劣をつける人種思想、民族を統合の名の元、他国への侵略を正当化する民族的ナショナリズムなど
- 思考停止でいると、誰もが悪をなし得る可能性がある
- 複数性を受け入れることで、常に思考することが大切
コメント