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キケロー「義務について」をわかりやすく解説

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キケローは共和政末期の政治家であり、哲学者です。

彼はプラトンやアリストテレスの教えを受け継ぎ、様々な論証や学説を発表しました。

その中でも「義務について」は非常に有名な哲学書であり、ラテン語の教科書にも採用され、多くの人々に影響を与えました。

この記事では、そんなキケローの「義務について」を解説していきます。

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キケローとは

Cicero - Musei Capitolini.JPG
Wikipedia参照

マルクス・トゥッリウス・キケロー(BC106-43)は共和政ローマの政治家・哲学者です。

ラテン語でギリシャ哲学を紹介したことで、ローマ市民に哲学の重要性を流布したことで知られています。

彼の影響を受けた哲学者には、モンテスキューやカントなどがいます。

彼の主な著書には、「弁論家について」「国家論」「法律」「義務について」などがあります。

キケローは貴族の家柄ではないのにも関わらず執政官まで上り詰めた人物です。

幼少期から最高の教育を受けた彼は、法律家として働き始めます。

ある程度の結果を残し、彼は弟のクィントゥスとギリシアに留学、アンティオコスより学びを受けます。

そしてローマに戻った彼は、財務官、按察官を経て執政官まで上り詰めます。

しかし、キケローは政界のいざこざに巻き込まれ、最終的には追放されてしまいます。

彼は、政府転覆をたくらむカティリーナを裁判なしで処刑します。

ただその時には、政敵のクロディウスが、裁判なしにローマ市民を処刑したものを追放する法案を可決していました。

キケローはローマから逃亡し、ローマ近郊の別荘にて、執筆活動に勤しむようになります。

この時から、彼は多くの書物を執筆していくのです。

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キケロー「義務について」の解説

「義務について」(44BC)はキケローによって書かれた哲学書です。

この哲学書は、彼が息子のマルクスに宛てて書いた書簡であり、三部から構成されています。

身内に向けた書簡ということもあり、中身は親しみやすいものとなっています。

また、「義務について」はローマにおける哲学の擁護が目的で書かれたとも言われています。

なぜなら、当時のローマでは政治的に価値のあるものだけが評価され、哲学は邪魔な存在である、という扱いをされていたからです。

本書は、ギリシア哲学をローマの市民に広める契機となりました。

義務とは

「義務について」は主に、道徳的・社会的な義務に関する現実の問題を、哲学がどのように対処していくのかを提示しています。

キケローの使う”義務”という言葉の定義は以下になります。

義務とは、人間として、また一国の市民として守るべき道徳的任務の達成のことを指す

彼は、義務を果たすべき相手に順番をつけていました。

  1. 祖国と両親
  2. 子供と家族
  3. 同郷の人々

人間は自らの義務を理解し、これらの人々へと役割を果たしていくことが大切である、と説いたのです。

義務の内容

では、具体的な義務の内容にはどのようなものがあるのでしょうか?

例えば、キケローは宇宙全体が神によって構成されている、と考えます。

そして人間は紙から放たれた火花であり、それは神の欠片である、と考えます。

そこから、同じ神の欠片である他人を不当に扱うことを否定します。

つまり、人間は社会的な動物であり、自分の為だけに生きていてもだめで、祖国や友人、家族などにも貢献しましょう、ということです。

今となっては当たり前の考えかもしれませんが、人間の行動指針として”義務”の哲学を最初に創り出したキケローは偉大です。

当時の時代背景を考えると、知り合いの人以外への道徳的な義務はしっかりと定義されていませんでした。

そして、キケローは全ての人々への義務や親切を重視する姿勢を”義務”と名付け、ローマ市民に広めたのです。

彼の”義務”という観点から人生の目的を考えると、人間同士の協力にたどり着きます。

人間は他者のために交代で義務を果たし、お互いに支えあいながら技術や労力を分かち合い、社会の絆を生み出すのです。

人間として全うするべき”義務”を通して、我々は社会との良好な関係性を築くことができます。

これこそが、人生の目的であると、キケローは言います。

徳性があるか

義務に当てはまるような事例はたくさんあります。

その中で、どれが義務として達成するべきことなのか、どれが悪しき行いなのか、を判断する必要があります。

キケローは義務として達成するべきこと、つまり徳にかなうものは、全て正しく立派であり有益なことである、と主張します。

つまり、義務に従って生きることは、立派な選択をして生きることなのです

人間は有益なことを成し遂げるために、正しさを捨てることがあります。

例えば工場の生産性を増やすために、地域の環境を汚染する、などでしょう。

このような事例は、徳性から外れてしまっているので、行うべきではありません。

立派なことと役に立つこと、有益なことと正しいこと、などの要素は乖離することはありません。

ここに亀裂が入ることに、全ての悪事や犯罪の根源があると、キケローは言います。

自然の摂理によって、立派なことは正しく、有益なものは役に立つ、なぜなら全ては徳性を秘めているからである、ということです。

ストア派の哲学

キケローは「義務について」の中で、ストア派の哲学がいかに優れているかを語ります。

ストア派の哲学が人生をより良いものにするために欠かせない存在であることを雄弁するのです。

いくつか具体例を見てみましょう。

節制を重んじる

ストア派の哲学は節度ある態度を良しとします

自由気ままに堕落した生活を営むのではなく、節操を保ち、真面目に生きることが立派である、という考え方です。

どんな行為であっても、しっかりと考えてから行動し、行動理由までしっかりと説明できることを目指せ、とキケローは言います。

人間の本来の優秀さや尊厳は、自己抑制と自己鍛錬を積み重ね、常に精神を平静に保つことで得られます。

これらを成し遂げてはじめて、偉大な人間となることができるのです。

少し難しいようにも思えますが、ストイックの語源でもあるストア派の哲学は、より高みを目指す思想なので、当然のことでもあります。

本性に従う

人間本来の本性に従う行為は、逆らってはいけません。

ストア派の哲学では、各人は自分固有の価値観や本性をしっかりと保持するべきだと考えます。

他人を羨ましがっていたとしても、自分の本性を捨てて他人の真似をすることは、いけないのです。

本能に従わずに抵抗することも、本性とかけ離れた達成できないようなことを追求することも的外れでしかありません。

一人ひとり違った個性を持ち、違った本性を持っています。

これを保持し続けることで、人間はより立派に”義務”を果たせるのです。

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キケロー「義務について」まとめ

キケローの「義務について」を解説しました。

彼の功績はギリシア哲学を共和政ローマの市民に広めたことにあります。

この記事で紹介したキケローの倫理学は、中世キリスト教の基礎を担っています。

また、彼の倫理に関する考察は現在でも色あせることなく、示唆するところが多いです。

ぜひ参考にしてみてください。

以下記事のまとめです。

  • キケローは共和政ローマの政治家・哲学者である
  • キケローはギリシア哲学をローマに広めた、これは後に多くの人々に影響を与えることとなった
  • 彼は「義務について」の中で、人間として、また一国の市民として守るべき道徳的任務についてを考察した

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