ファーブル「昆虫記」をご存知でしょうか?
昆虫に関する情報が事細かに描かれている本で、多くの人々に愛されてきました。
幼いころに読んだ記憶のある方も多いのではないでしょか?
ファーブルのあくなき昆虫への探究心から得られた知見は、我々に多くのことを教えてくれます。
この記事では、そんなファーブル「昆虫記」を解説していきます😆
ファーブルとは
ジャン・アンリ・ファーブル(1823-1915)はフランスの博物学者・学校教師・作家です。
博物学とは、科学・文学・文化などが1つにまとまったものを指し、昆虫に関する研究から人間への影響まで、あらゆることを研究していました。
困難の多い人生を生きたファーブルですが、晩年は昆虫の研究に没頭することができるようになります。
ファーブル「昆虫記」の解説
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「昆虫記」はファーブルが55歳の時に第一巻を出版し、そこから30年間かけて全10巻を書き上げたのでした。
「昆虫記」の原題は「昆虫学的回想録」です。
非常に難解そうなタイトルであり、事実内容は研究論文に近いものがあります。
しかし、ファーブルとしてはより多くの人に昆虫のことを知ってもらいたかったのです。
だからこそ、「昆虫記」では優しい表現や口調が多用されています。
ファーブルのあくなき探究心
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ファーブルはフランスのサン=レオンという町に生まれます。
貧しい家の長男として暮らす彼には、1つだけ大好きなことがありました。
それが生物観察です。
幼いころから生き物への興味が強かったファーブルは、沼に行ったり農場に行ったりして、あらゆる動物と触れ合います。
また、幼少期から探究心が強く、なぜ・どうしてを常に考える子供だったようです。
例えば、太陽はなぜまぶしいのか、ということを考え、家族に発表したこともありました。
そんな時に彼を支えてくれたのは、祖母でした。
彼の探究から得られる結果を聞いて、多くの人は笑いましたが、彼の祖母だけで優しく受け止めてくれました。
祖母という絶対的な味方がいることが、ファーブルのあくなき探究心を支えているのでした。
苦難の連続の人生
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10歳の頃に都会に引っ越したファーブルですが、なんと親が経営していたカフェが破産、一家は離散となってしまいました。
独り身になったファーブルは、肉体労働でその日暮らしの生活を強いられます。
大変苦しい状態ですが、彼の昆虫への想いは消えることがありません。
むしろ、昆虫への憧れが心の支えとなるのでした。
フランスの児童支援のプログラムにのり、何とか住む場所・食事・教育を手に入れたファーブルは教師になります。
物理・科学を教える彼の授業はとても面白く人気がありました。
しかし、ここでも苦難が訪れます。
植物のおしべとめしべの話をしていたところ、それがキリスト教の思想に反する、という理由から解雇になってしまうのです。
途方にくれる彼ですが、そこから彼は作家としての道を歩み始めます。
物理や化学はもちろん、歴史や文学など、ありとあらゆる作品を書いていきます。
そして最終的に、アルマス(荒れ地)のある一軒家を手に入れ、昆虫の研究をしっかりとできる環境を手に入れるのです。
狩りバチの研究
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ファーブルはいくつもの昆虫の研究をします。
その中の1つが狩りバチです。
狩りバチとは、幼虫期に宿主に寄生することで生きているハチです。
ファーブルは狩りバチの研究に関する論文を読んで、違和感を覚えます。
当時は宿主を殺して、未知の防腐剤をかけることで腐らせずに幼虫を成長させると考えられていました。
しかし、これを怪しんだファーブルは独自で狩りバチの研究をします。
彼は色々な実験を通して、狩りバチは獲物を殺しているのではなく、運動神経を麻痺させて動けなくさせていることを見つけます。
また、そこで昆虫のすごさを知ることになります。
人智を超えた本能
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狩りバチは獲物に卵を産み付け、そこで孵化した幼虫は獲物を食べて成長します。
一見すると、神経が麻痺されている獲物をただ食べているように見えます。
しかし、実はこの獲物は全て食べ終わるのに1週間かかるのですが、それまでに獲物を腐らせてはいけません。
腐った食べ物を食べると、幼虫も死んでしまうからです。
そこで幼虫は、なくなっても獲物が死なないような部分の臓器から食べていくのです。
また、卵を産み付ける位置にもポイントがあります。
獲物は死んでいるわけではなく、神経が麻痺しているだけなので、たまに足が動いたりします。
そうすると、卵は足で振り落とされてしまう可能性があるわけです。
だから狩りバチは、どんなに足を動かしても絶対に落ちない部分にのみ卵を産み付けます。
そもそも、運動神経を麻痺させる方法も特殊です。
生物によって神経が集まっている部分は違います。
甲虫であれば腹の部分を刺さなければであり、幼虫であれば全ての節の神経を麻痺させなければいけません。
狩りバチは、これらを本能的にやってのけるのです。
そこには、人間の人智を超えた、本能の偉大さを垣間見ることができます。
さそりの研究
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ファーブルはさそりの研究もします。
さそりは毒針とはさみを持っています。
全身武装した戦闘特化の昆虫です。
イメージとしては、武器を持った人間のような感じでしょうか。
ファーブルはさそりと他の生物を戦わせて、どんな反応を取るのかを観察します。
まず、サソリとクモを戦わせてみます。
サソリは一瞬で毒針をクモに刺します。
逃げる余裕も与えず、瞬時に刺殺したのです。
次にさそりとムカデの対決です。
この勝負では、お互いが逃げ惑うばかりでした。
そもそも戦うつもりがなく、戦闘の意思はまったくありませんでした。
最後にバッタとの対決です。
この勝負では、そもそもお互いがお互いを認識していませんでした。
バッタは足でサソリを踏んづけ、サソリもまったく気にしない始末です。
無駄な争いをするのは人間のみ
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さそりを例に考えてみると、自然界の摂理が見えてきます。
まずサソリはエサであるクモを見ると、一瞬で殺してしまい捕食します。
一方ムカデと出会うと、お互い同じようなエサを求める仲間なので、同士討ちを避けるために逃げます。
さらにバッタなどの普段出会わないような昆虫と出会うと、そもそも本能的に認識することができません。
昆虫は無駄な争いは避け、常に本能に従い最適な選択を選びます。
種の存続が目的で生きている昆虫にとっては、無駄な争いは一番避けるべきことなのです。
しかし、人類はどうでしょうか?
本能ではなく感情に流され、多くの無駄な争いを繰り返してきました。
無駄な争いをすることは全く合理的ではありません。
自然界は、人類が生まれるはるか前から存在しており、気が遠くなるような年月をかけて本能というプログラムを作り上げました。
そこには人間の理解をはるかに上回るロジックがあるのです。
しかし、人間は科学の発展に伴い、全てを掌握したような感覚に陥ってしまいます。
自然への畏敬の念が、現代人に足りないものなのかもしれません。
ハンミョウの研究
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ファーブルはハンミョウの研究もします。
ハンミョウは一度に約4000個の卵を産みます。
その卵から孵化した幼虫たちは、草花に紛れ込んで、ハチが来るのを待ちます。
ハチが来たら、その身体にくっついてハチの巣まで行き、そこに寄生します。
ハチの巣にある卵を食べることで成虫になるのです。
ハンミョウの研究から、ファーブルは自然界の過酷な運命をいくつも知ります。
まずハンミョウは、数千もの卵を産み、成虫になれるのはわずか数匹です。
それ以外は途中で死んだり、捕食されたり、ハチに出会えずに餓死したりと、悲しい末路をたどります。
またハチも、自分たちの巣に寄生するような幼虫を、自分たちで運んでいることには気付きません。
生命は循環する
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種の保存のためには、いくつもの犠牲が伴います。
自然が課す生命の循環は、宿命的で情け容赦のない戦いです。
食い食われ、持ちつ持たれつ、生命は存続しているのです。
大切なのは個体が生き残ることではなく、種族が生き残ることです。
でも、個体の存在は決して無駄にはなりません。
生き物の死は次の生物の生に繋がるのです。
最後にファーブルの言葉を載せておきます。
死は終わりではない、より高貴な生への入り口である
ジャン・アンリ・ファーブル
ファーブル「昆虫記」まとめ
ファーブルは人生をかけて昆虫の研究をしました。
彼が最終的に見つけたのは、昆虫の本能や生命の循環への畏敬の念でした。
死は終わりではなく、より高貴な生へと繋がるのです。
ぜひ参考にしてみてください😆
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