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チェ・ゲバラの歴史と名言を分かりやすく解説

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キューバ革命の先導者、チェ・ゲバラをご存知でしょうか?

彼のカリスマ性溢れる顔の画像を見たことがある人は多いのではないでしょうか?

キューバではいまだに彼を英雄として崇めており、あちこちに彼の顔がペイントされています。

今回は、そんなチェ・ゲバラについて解説していきます。

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チェ・ゲバラの人生

幼少期

1928年にアルゼンチンで生まれたチェ・ゲバラは、実業家の父と政治家の娘であった母を持ち、非常に裕福な生活をしていました。

生まれたときから身体が弱く、喘息などを患っていたそうです。

そんな中、教育熱心な母親に育てられたゲバラは、3000冊以上の本を読み、19歳で国立ブエノスアイレス大学の医学部に入学します。

そこはアルゼンチンの最高学府と呼ばれており、彼の優秀さが分かります。

なぜ彼が医学部に行くことを決意したのか、それは彼が幼い時から喘息を患っており、そんな自分と同じく病気で苦しむ人を助けたい、という思いからでした。

青年期

23歳のゲバラは、自分の人生に悩んでいました。

当時の彼の日記には次のように記されています。

僕は薬学研究所にも病院にも、試験にもうんざりしていた。

退屈な日常に飽き飽きしていたことが分かります。

そんな彼はある時、医者の友人とラテンアメリカをバイクで横断する旅に出かけます。

なんのプランもなく、わずかな資金で行き当たりばったりな旅は、彼にいままで見たことのない世界を見せてくれました。

チリの貧しい地区を訪れたときは、貧困のせいで薬すら買うことができない喘息患者に出会い、ラテンアメリカ全土を覆う、貧困格差の実態を目の当たりにしたのです。

裕福な家庭に生まれたゲバラにとって、それは信じられない世界だったようです。

事実、1950年代はラテンアメリカの貧富の格差が非常に問題視されていました。

アメリカの資本家と土地の地主だけが儲かり、国民の多くは安い賃金で過酷な労働を強いられていました。

ゲバラはこの実情に危機感を覚えるのでした。

2度目のラテンアメリカ旅

25歳で大学を卒業したゲバラは、再びラテンアメリカの旅に出かけます。

前回はあてのない旅だったのに対し、今回は世の中の不平等をどうすれば解決できるのか、を知るための旅です。

ボリビア、グアテマラ、メキシコと各地を回りました。

どの国も支配者階級と革命軍の戦いが勃発しており、ゲバラもついに銃を取ることを決意します。

クーデターが発生している地域には、他人が死んでも関心をもたない、正義のために戦わない人々がいることを理解しつつ、傍観者である自分も彼らと同じであることを痛感したゲバラは、ついに戦いに参加したのです。

メキシコ滞在期

27歳のゲバラはメキシコに滞在していました。

キューバからの亡命者たちと一緒に暮らしながら、日銭を稼ぐ日々を過ごしていました。

その亡命者たちのリーダーこそがフィデル・カストロでした。

当時のキューバはサトウキビの輸出が問題になっていました。

アメリカの企業と地主だけが利益を独占し、国民の貧困化が進んでいたのです。

カストロはキューバの豊かな家庭に生まれ育った人物でしたが、貧困層を救い出すことを志し、亡命したのでした。

アメリカの支配から逃れるために武器をとって戦うカストロの姿は、ゲバラにとって非常に衝撃的でした。

彼の自信と確信のある態度は、ゲバラの心を動かしたのです。

ゲバラは、貧困をなくす戦いに命を懸けることを決意します。

キューバ密入国

1956年キューバに1隻の舟がやってきます。

革命軍の密入国舟です。

ゲバラも軍医として戦いに参加していました。

革命軍は約70名ほどしかいなかったのに対し、キューバ政府軍は万を超える大軍を引き連れて応戦してきました。

ゲバラは医者としての参戦でしたが、途中からは自分も革命の戦士として戦闘に加わり戦いました。

シエラ・マエストラの山中に身を隠すことになりますが、そこまでたどり着いたのはわずか12名だったそうです。

追い込まれた革命軍でしたが、カストロは

「大丈夫、我々は絶対に勝てる!」

と仲間たちを鼓舞します。

戦いの中でカストロはゲバラに対して奇妙な命令をします。

それは、

戦いで負傷した兵士は、たとえ敵であったとしても手当をして釈放せよ

というものでした。

ゲバラは限られた医薬品を敵兵に使うのはもったいない、と反対しましたが、結局この命令に従いました。

この命令は結果的に素晴らしい作戦だったことが分かります。

戦いの中でも命を救おうとする姿勢に感銘を受けた地域住民の支援が始まったのです。

革命軍の人数は半年で約400人まで増えました。

カストロとゲバラの人として正しい事を貫く姿勢は、人々に感銘を与えたのでした。

ゲバラはそれだけではなく、無償で貧しい農民の処置をし、さらには教育まで施したとされています。

困っている人は絶対に見捨てない、そんな彼らの態度が人々を感化させて言ったのです。

ちなみにこの彼の素晴らしい行動は、ヒポクラテスの誓いを遵守してのことだとされています。

ヒポクラテスの誓いとは、医師の倫理・任務などについての、ギリシア神への宣誓文で、現代医療の根幹思想です。

  • 誰も見ていないからこそ、倫理的に救命する
  • 困っている人を見つけたら助ける

これらの教えに沿い、ゲリラ戦士は道徳的規範を守って活動していました。

キューバ革命

Blue and White Flag on Pole

1958年、首都ハバナを目指し進軍する革命軍はサンタクララを制圧し、政府は国外に逃亡しました。

そしてついに1959年、革命軍は首都ハバナへ到着、キューバを解放しました。

これをキューバ革命と呼びます。

当時カストロは32歳、ゲバラは30歳でした。

戦士でありかつ医者であったゲバラの姿勢は、革命に大きな影響を与えたのでした。

1959年、カストロは首相に、ゲバラはカストロの補佐として国立銀行総裁、工業大臣に就任します。

キューバ独自の経済を目指した彼らは、アメリカ企業を追い出し農地を国有化、国民に格安で提供していくのでした

当時のゲバラの生活もまた特徴的でした。

平日は大臣として仕事をこなし、休日は国民と一緒に建築や小麦工場で働いていたのです。

大臣がボランティアとして市民と作業をするなんてあまり考えられませんが、彼はそんな人間だったのです。

彼は次のようなことを考えていました。

人間は自分のためではなく。他人のために自ら働くべきだ。

これを私は新しい人間と呼ぶ。

自分にだってできるのだから、みんなにもできるさ!

世界中の人間が新しい人間になれば、世界はもっと良くなると信じていたゲバラはそれを自ら体現していたのでした。

また彼はアレイラという革命軍時代の友人と結婚、子供も4人いました。

キューバ危機

そんな平和な生活も一転してしまいます。

世界は冷戦時代であり、アメリカに非常に近いキューバはロシアによって核ミサイルを配備されたのです。

核戦争寸前までいったこの状態で、キューバは危機的状況に追い込まれます。

国連総会にも出席し、欧米列強諸国が貧困地域から搾取していることを批判したゲバラは、強くアメリカを非難します。

しかし、この非難の対象にはロシアも含まれていました。

資本主義VS社会主義の構図において、ゲバラは両者ともに貧困地域方の搾取をしていると批判していたのです。

カストロは立場上ロシアを味方にするしかありませんでしたが、ゲバラはロシアをも批判します。

1965年、36歳のゲバラはキューバの市民権を捨てて、あらたな革命を起こしにでかけます。

コンゴ時代

アフリカ中央に存在するコンゴ共和国の内戦に参加したゲバラでしたが、上手く馴染むことができません。

ゲバラは世界中の貧しい人を救うことを志し、最前線で戦い続けることが使命だと考えていました。

しかし、現地の人々には受け入れられなかったのです。

なぜそんなことが起きたのか

それにはコンゴ軍の性質が関わっています。

長年内戦が続くコンゴでは、権利や利益が複雑に絡み合い、本来の目的すらも見えなくなっていた状態でした。

そして革命軍のコンゴ兵たちでもそれは同じでした。

彼らには、他人のために働く戦うという姿勢が存在していなかったのです。

ゲバラの最期

1966年にキューバに帰国した彼は、子供たちにへの手紙を残し、ボリビアに旅立ちます。

ボリビアの革命軍に接触するも、彼らもまたゲバラの思想に共感することはありませんでした。

結果的に彼は政府軍に捉えられ、翌日に銃殺されてしまいます。

享年39歳でした。

彼は銃殺を命令された兵士に次のように叫びました。

「撃て、恐れるな、おれはただの男に過ぎない」

これには、色々な解釈があります。

  • ただの男でもここまでやれたんだ、みんなにもできる!
  • 俺を殺すことはたいしたことじゃない、と銃撃を命じられた兵士を励ましている

ただ、人のために尽くす、という彼の思いがあったことは間違いないでしょう。

最後まで彼は彼の意志を貫き通したのです。

最後に彼が子供たちに書いた手紙の内容を紹介します。

世界のどこかで誰かが不正な目にあっているなら、痛みを感じられるようになりなさい

これが革命家においてもっとも美しい資質です。

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名言集

もし私たちが不可能な理想を夢見ていると言われたら、何千回でも答えよう。

『私たちには、できる!』と。

チェ・ゲバラ

ゲバラからは、自分にもできるんだから君にもできるさ!という思いが伝わってきます。

この自分ならできる、我々ならできる、という確信が何かを成し遂げるときには大切なのです。

僕を導くものは、真実への情熱だけだ。あらゆる問題について、僕はこの点から考える。

チェ・ゲバラ

彼の信念を貫く姿勢は非常に感銘を受けます。

誰になんて言われても、自分が道徳的・倫理的に正しいと思うのであれば断行する、そんな姿勢が感じられます。

ただ一人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。

隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。

蓄財できるすべての黄金よりも、はるかに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念なのである。

チェ・ゲバラ

ジョン・レノンやカストロなどからも尊敬される理由が分かりますね。

彼の素晴らしい道徳観・倫理観はいつの時代になっても色あせることはありません。

未来のために今を耐えるのではなく、未来のために今を楽しく生きるのだ。

チェ・ゲバラ

この考え方は非常に重要で、偉人と呼ばれる人物は皆、この考え方をします。

いつかくる未来を待ち望むのではなく、今この瞬間を楽しみましょう

バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。

人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家を想像することは不可能だ。

チェ・ゲバラ

愛は世界を救う思想です。

全ての人間が愛をもって誰かのために働く、彼が言う新しい人間、で構成された世界を創造することができれば、真に平和な世界が生まれるのかもしれません。

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最後に

チェ・ゲバラの人生、思い、マインドセットはご理解いただけたでしょうか?

彼の、自分にもできたのだから君にもできる!という熱い想いは、我々の心を熱くしてくれます。

また、彼の道徳的・倫理的な考え方や行動は、いつの時代になっても色あせることなく人々に感動を与えてくれます。

人間関係が軽薄化していく現代社会において、誰かのために行動する、ことも少なくなってきているのかもしれません。

自分のできることから、少しづつ世界を変えていきましょう。

それがきっとゲバラが望む、新しい人間への第一歩となるでしょう

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