あなたの身近にリーダーはいるでしょうか。
もしかしたら、あなた自身がリーダーかもしれません。
社長、代表、幹部、首相など、特定の団体の中で上位層にいる人々はリーダー的な職務を行っているでしょう。
リーダーとはどのような発言・行動・立ち振る舞いをするべきなのでしょうか?
この記事ではマキャベリ著「君主論」を参考に、現実的なリーダーのあるべき姿について解説していきます。
マキャベリ「君主論」とは
「君主論」とは16世紀初頭のイタリアはフィレンツェにて外交官をしていた二ッコロ・マキャベリが、フィレンツェの最高指揮官に向けて書いた本です。
君主論が生まれる以前のリーダー哲学は、慈悲の心や愛を持つことの重要性が語られていたのに対し、「君主論」では現実的に冷酷さや残酷さを求めます。
当時にしてはあまりに異色で危険な思想であったために、キリスト教からは禁書処分になってしまうくらいです。
君主論が描かれた背景には、マキャベリの生まれ故郷であるフィレンツェの危機がありました。
彼が生まれた当時はロレンツォという王が国を統治していました。
彼はとても優秀なリーダーであり、多くの人々から絶大な人気を得ており、ルネサンス文化は最盛期を迎えておりました。
しかし1492年にそんなロレンツォが亡くなってしまいます。
リーダーがいなくなったフィレンツェは、イタリアの群雄割拠の時代に巻き込まれていきます。
またフランスやスペインなどのその他の国もこの動乱に参戦し、イタリアを狙ってきます。
国家の危機に瀕した時に、マキャベリは名を上げていきます。
名門の生まれではないマキャベリですが、頭の良さと行動力で信頼を勝ち取り、29歳(1498年)にして政府の書記官に任命されます。
その後外交官になったマキャベリは、数多くの君主(リーダー)たちと出会う中で、君主にあるべき素質や振る舞いを学びます。
そして1513年、彼はフィレンツェを平和を守るため、素晴らしい君主を生み出すために、「君主論」を出版します。
マキャベリ「君主論」の解説
君主論には主に4つの項目について書かれています。
- 国について(分類や維持、手段など)
- 軍事について(攻撃と防御など)
- 君主が持つべき資質
- 君主の運命について
この記事では、主に3(君主が持つべき資質)と4(君主の運命について)解説していきます。
現実主義
君主論は非常に現実的な内容になっています。
慈悲の心を持って国民に優しくしていたら、国は治まるよ、などといった甘いことは言いません。
そうではなく、生々しいリーダーとしての真実の現実を描いています。
君主論の大きな特徴として、政治と倫理を切り離している点が挙げられます。
人としてあるべき姿(倫理)は、誰しもが必ず心得ておくべき徳目ではありますが、実はこれは政治の世界で必要とされる要素とは必ずしも一致しないのです。
君主が倫理観をもって誰に対しても優しく接していたら、その国は崩壊してしまう、マキャベリはそう考えたのです。
理想ばかりを追うのではなく、現実をしっかりと見つめ、分析し、知恵を得ることが大切だと考えたのです。
マキャベリが現実主義なのには理由があります。
彼の仕事は外交官でした。
彼は40回以上の外国に行き、相手国の君主と会い、情報を集め分析・観察したことを報告する、という仕事をしていたのです。
君主の良い部分も悪い部分も、全てを見ることができたのです。
だからこそ、君主には人間的な倫理観だけでは足りないことに気が付いたのです。
君主が持つべき資質
君主が持つべき資質とはなんでしょうか?
君主論に書かれている素質は以下の通りです。(本文にはもっと書かれています)
- 冷酷である
- 恐れられる
- ケチである
1つずつ見ていきましょう。
冷酷である
彼のリーダー哲学の根本思想に、優しさだけでは国を治めることはできない、というものがあります。
優しく国を統治していると、いつか必ず混乱が発生し、他国からは攻められ、国は滅亡してしまう、とマキャベリは過去の歴史から考えていました。
では君主に必要な資質は何でしょうか?
それが冷酷さなのです。
具体例として、チェーザレ・ボルジアという人物が挙げられています。
彼は勇猛果敢でとても冷酷な策略家として名を馳せていました。
そんな彼は、「部下が短期間である地域の混乱を収め、秩序を取り戻したものの、あまりに厳しい政治であったために市民からは反感を買っていること」を知ります。
すると、なんとボルジアはその部下を処刑したのです。
自分の信頼する部下をも簡単に殺してしまう、そんな彼に恐ろしさは民衆の心を掴みました。
冷徹な君主だからこそ、地域の秩序を取り戻すことができた事例です。
恐れられる
また、これと同じように、恐れられることも重要です。
多くの君主は愛されるべきか、恐れられるべきか、という質問に、愛されるべきだと回答するでしょう。
しかし、マキャベリは次のように述べます。
恐れは第三者をコントロールすることができる
愛することは第三者をコントロールすることができない
事実、人々の愛はとても変わりやすいです。
愛で世界がまわっていくのであればそれは素晴らしいですが、現実はそう甘くはありません。
ケチである
またケチであるということも重要な要素です。
歴史上の大物はみなケチであったとマキャベリは言います。
例えばルイ12世は大変な節約家であり、国民への重税ではなく、国家の節約に力を注いだことで有名です。
ケチであることのメリットは、結果として君主がいい人であることを示せる、ということです。
国民が君主のことをいい人である、と認識することができれば、コスパ良く国を統治できるのです。
マキャベリは次のように言います。
君主はいい人であるように見せることが大切である
君主には実際の中身は問われていません。
国民が求めているのは、結果なのです。
全ては祖国のためである
ここまで言われると、マキャベリのことが嫌いになってしまいそうですね(笑)
しかし、忘れてはいけないのは、マキャベリは誰よりも祖国のことを考え、国民の幸せと平和を考えている、ということです。
自分の国が平和に統治されることを願って、彼は多くの人が避けるような政治の現実的な部分を語っているのです。
そして君主とは、そんな人々の嫌われ役を買って出て、国民のために努力をすることができる人間指すのです。
君主の運命について
マキャベリの運命に対する考え方はどのようなものだったのでしょうか?
「君主論」では、君主が運命に対して持つべき考え、についても詳しく説明されています。
運命との付き合い方
マキャベリは運命に翻弄された人間でした。
ピエロ・ソデリー二が国家元首だった際に、マキャベリは彼の秘書官として働いていました。
祖国のために働くことができ、彼は非常に喜んでいました。
しかし、スペイン軍がフィレンツェに侵攻してきたときに、ソデリー二はどう対応するべきかを判断することができず、結果的にフィレンツェはスペイン軍に占領されてしまいます。
フィレンツェ共和国は終わりをつげ、ソデリー二は国外逃亡、マキャベリは失脚し、さらに謀反の容疑で投獄され拷問まで受けます。
1年後に解放され、やっとフィレンツェの郊外で落ち着くことができましたが、当時44歳のマキャベリは非常に傷ついていました。
世界は運命と神によって支配されていることを痛感したのです。
しかし、「君主論」では君主はこの世界の運命の支配から逃れることができる、と書かれています。
マキャベリは、運命であったとしても、あらかじめ備えておき、時流を読んで自らを変えていくことができれば、乗り越えることができる、と言っています。
君主が運命に対して取るべき態度を一言で表すとすると、
運命の女神は吹っ飛ばせ
となります。
君主は慎重であるよりも、果敢に進んでいく姿勢を持つべきでしょう。
マキャベリも、運命でも半分くらいはコントロールすることができる、つまり運命は自分の力で変えていくことができる、と力説しています。
事実、マキャベリは失脚して絶望に打ちひしがれていてもなお、運命に立ち向かって君主論を書きました。
君主論とは、君主のあるべき姿を記すという目的の他に、マキャベリ自身がいかに政治界で役立つかを知ってもらう、という目的のもとに書かれたものなのです。
「君主論」自体がマキャベリの運命を切り拓くための方法だったのです。
運命を切り拓け
人間には自由意志があります。
この自由意志を駆使することで、運命は変えることができます。
個人の運命だろうが国の運命だろうが関係ありません。
この世界の半分は時の流れや運の影響だろう、だがもう半分は自分の力で変えられる
マキャベリはそう語ります。
外交であっても、戦争であっても、人間関係であっても、時の運・地の利はあるでしょう。
しかし、そんな中でもチャンスを見つけ、自分の意志で行動し、機会を切り拓いていくことで、運命は変わるのです。
君主たるもの、運命は自分で決めて、切り拓きましょう。
マキャベリ「君主論」まとめ
この記事では、マキャベリ著「君主論」について解説しました。
理想だけではない、現実的な視点で物事を観察することは大切です。
地に足をつけた状態で機会を探り、運命を切り拓きましょう。
- マキャベリはイタリアはフィレンツェの外交官であった
- 「君主論」は君主のあるべき姿について現実的な視点で描かれている
- 君主に求められる資質は、
- 冷酷である
- 恐れられる
- ケチである
- 例え国の存亡の危機であっても、運命は切り拓くことができる
ぜひ参考にしてみてください。
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