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カイヨワ「戦争論」を分かりやすく解説

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いつの時代も人類は絶えず戦争を繰り返してきました。

自然科学が発展することで平和が訪れると信じられていましたが、その夢もむなしく、20世紀は戦争の年となりました。

そんな厳しい現実を乗り越えるために、多くの人が戦争についてを考察しました。

ロジェ・カイヨワもその中の1人です。

彼は「戦争論(われわれの内にひそむ女神ベローナ)」を通して、人類学的に戦争を解き明かしていきます。

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カイヨワについて

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Wikipedia参照

カイヨワ(1913-1978)はフランスの人類学者・哲学者です。

非常に数多くの分野に精通しており、戦争から神話、さらには夢まで、数多くの研究を行いました。

彼の著書である「戦争論」ユネスコ国際平和文学賞を受賞し、世界的名著になりました。

第一次世界大戦が始まる年に生まれたカイヨワは、時代の転換を肌に感じて育ちました。

ヨーロッパの価値観が大きく変わり、合理的で物質主義的な思想が主流になっていくなか、彼はそんな流れに疑問を抱いていました。

役に立つものだけが評価されるのはおかしい、無駄で非合理なものこそが人間には必要である、と推測したのです。

彼は著書や論文などの発表を通して、人類学者に地位を確立していきます。

そしてある年、アルゼンチンで講演をしていたとき、第二次世界大戦が勃発します。

近代合理的な考え方でとらえきれない部分に人間社会の本質が存在していると考察したカイヨワは、戦争についての著書を書き始めます。

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カイヨワ「戦争論」の解説

「戦争論」は人類学者であるロジェ・カイヨワによって書かれました。

人類学的な観点から、人間にとって戦争とはどんな存在か、を考察しています。

第二次世界大戦後から執筆された本書は、ユネスコ国際平和文学賞を受賞し、世界的名著になりました。

この記事では、そんな「戦争論」について解説していきます。

人類学的な視点

カイヨワは人類学者として、独特な観点から戦争を考察していきます。

そもそも、人類学的な視点とはどのような視点なのでしょうか?

これは端的に答えると、人間の本性(傾きや傾向)と戦争の関係性を解き明かす、という意味が込められています。

つまり、戦争の根本原因が人間の内側に存在すると仮定し、その傾向を阻止するための方法を推測する、という視点です。

カイヨワは、近代合理主義的な、役に立つものだけを重視する姿勢はいつか崩壊すると考えていました。

全ての物事が生産を原理にして組み立てられる世界では、いつか飽和してパンクしてしまう、だからこそ戦争がその飽和を調整している、と考えます。

そして、この飽和解消のための戦争を「聖なるもの」と称しました。

人類は文明の発展の果てに戦争にたどり着いた。

つまり、人間の中に戦争へと向かう傾きがあるのではないか?

そんな前提条件の中カイヨワは、人間の傾きをどうやって止めるか、を考え始めます。

戦争の歴史

The Phantom Horseman,1870-93 by Sir John Gilbert (d.1897)

カイヨワは、戦争を大きく分けて4種類に分類します。

時代によって戦争も形や姿を変えているのです。

  • 原始的戦争
  • 貴族戦争
  • 国民戦争
  • 全体戦争

この章では、これらの戦争について詳しく見ていきたいと思います。

原始的戦争

原始的戦争は、はるか昔の人類が行っていた戦争を指します。

言語すら獲得していないような人々が、部族同士で争っている状態です。

部族の小集団がなわばり争いをしているイメージで、規模は小さいです。

一言で表現するのであれば、身分差のない未開の段階の社会における部族同士の抗争です。

貴族戦争

Battle of Grunwald. Jan Matejko based his depiction of the Battle of Grunwald on the account of Jan Długosz. Matejko has shown the final stage of the battle – retreat of Teutonic Knights and the death of Grand Master Ulrich von Jungingen. Provided by National Museum of Warsaw. PD for Public Domain Mark

貴族戦争は、階層化された封建社会における、貴族階級の役割としての戦争を指します。

戦争はあくまで貴族や騎士階級の特権であり、王家の名誉や領土を守るための手段として戦争が存在していました。

一般大衆としては、家や農地を荒らされる危険性があり、兵士として駆り出される可能性もあるので、あまり喜ばしいことではありませんでした。

しかし、戦争の目的は彼らの殺戮ではありませんでした。

戦争の規模は王家の財政次第だったので(傭兵を金銭で雇用するから)、そこまで大きくなることはありませんでした。

また、目的が殺戮ではないので、勝負は騎士たちの決闘で決まることもありました。

目的達成のための戦争だったので、被害者はそこまで多くはなかったのです。

国民戦争

国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う戦争を、国民戦争と呼びます。

今までの戦争とは違い、国民が主体的に兵士となり、戦います。

国民戦争が生まれたきっかけはフランス革命だと、カイヨワは考えます。

フランスは市民が自由を主張し、ナポレオンが先導する形でフランス革命を勃発させます(1789年)。

今までの貴族が国を治める封建社会は崩壊し、国民主体の国家が初めて誕生します。

周りの封建的な支配をしている国々は、この革命の流れが自分の国にまで及ばないように、革命国であるフランスを潰そうとします。

これに対抗するため、フランス内では国民の中から兵士を集める、徴兵令が出されます。

これが国民軍の誕生であり、国民戦争の始まりです。

全体戦争

全体戦争は、主要国家間で行われる大規模な戦争です。

ありとあらゆる資源を投入して行われ、万人が関わることができます。

近代化に伴い、社会は民主化し、平等社会が実現、誰もが政治的な権利を主張することができるようになりました。

しかし、これらの状態が反転し、戦争を万人の物にしてしまったのです。

民主主義社会において、国家の意思決定は国民にゆだねられます。

そして、国民が戦争を望んだ場合は、戦争が肯定され全般化されてしまうのです。

国家としての決断であるため、その国に存在する資源は全て戦争へと投資されます。

これらの流れを通して、戦争は規模を広げ、万人の物となっていくのです。

産業革命の影響

カイヨワは全体戦争へと向かう流れの中で、1つの大きな転換点があったと考察します。

それが産業革命です。

産業革命は、人々に強力な戦闘手段や広報手段を提供したのです。

産業革命と全体戦争の関係性は非常に密接です。

なぜなら、戦争は大量破壊を通して大量生産を促進するため、産業革命に必要な新規需要を保証してくれるからです

簡潔に述べると、戦争は大きな需要を生み出すことを保証してくれる大事な要素だったのです。

極端な例を挙げるなら、GDPという指標は戦争を行うことで大幅に上昇させることができるのです。

まるところ戦争は、規格化された大量生産を促進することとなった。

大量生産が順調に行われるためには、大量破壊がなくてはならない。

組織的破壊こそは、新規需要の最大の保証である

カイヨワ「戦争論」

ナショナリズムの台頭

全体戦争へ国民が主体的に参加するのには理由があります。

それが、産業革命によるナショナリズムの台頭です。

ナショナリズムとは、国家や民族の統一を目指す思想・運動を指す

産業革命以降、多くの国民は生まれ育った地域から工場のある地域へ移住します。

工場地域が一気に成長し、人員が不足していたからです。

結果的に都市部に集まった人々は帰属意識が希薄になっていきます。

突然知らない地域に移動し、朝から晩まで仕事をしていればそうなるのも不思議ではありません。

そんな孤独感を持つ彼らを繋いだのは、言語やコミュニケーションでした。

  • 同じ言語を使うというアイデンティティ
  • アイデンティティを共有する人々が集まって構成されるコミュニティ

これらがナショナリズムの誕生を促しました。

ナショナリズムを持つ国民は、自分たちの民族・国家の為なら自ら進んで働きます。

なぜならそこに帰属意識を持っているからです。

国家による統合支配

ナショナリズムの台頭に伴い、国家は国民をコントロールするようになります。

国家や民族に対する強い帰属意識を持つ国民たちに、戦争に参加することの意味や、戦死することの偉大さを説いていくのです。

孤独感にさいなまれていた地方出の労働者たちは、国家のために死ぬことが生きる意味である、生きた証である、ということを意味付けされていきます。

そんなナショナリズムが高まった国家同士の戦争が、全体戦争となるのです

国家が国民の進むべき方向を決めます。

国民は兵士として、砲弾と同じく使い捨ての部品の1つになります。

しかし、国民たちはそれが自分の生きる意味であると確信しているので、自ら志願して兵士となります。

「生き死に」に意味を与える権利を得てしまった国家は、無名のまま死んでいくことこそが栄光である、という教えを国民に説き、大規模な戦争へと導いていくのです。

メディアによる思想の拡散

一般的に思想の伝播には時間がかかるとされていました。

しかしそれは産業革命以前の時代の話です。

テレビやラジオなどのメディアが発明されて以来、思想の拡散は非常に容易となりました。

これらの存在が、ナショナリズムを大きく促進させました。

例えばナチスドイツは、映像を上手に活用して国民意識を高めました。

ヒトラーが話す、国民が支持する、という映像を何度も流すことで、ナショナリズムはどんどん加速していったのでした。

それ以外にも、ドイツ人を美化した映像を下げることで、優生思想への心理的抵抗を下げたりしました。

国民はメディアを通して、戦争が怖いものではなく、魅力的で必要なものである、という思想に変えていったのです。

「聖なるもの」としての戦争

人類学的に戦争を考えると、戦争は「聖なるもの」としての役割があると、カイヨワは主張します。

聖なるものとは、合理的に説明ができないけど、人類にとっては必要なものを指す

「聖なるもの」の具体例としては、遊びや祭りなどが挙げられます。

騒乱と動揺などの大きな感情変化が起こり、消費活動が促進され、多くの人が熱狂してしまう、そんなものです。

感覚的に発生しては人々の不満を解消するのです。

人間は潜在的に、非日常を求めるような傾向を備えています。

毎日がつまらない生活だと、何か大きな出来事を無意識のうちに求めます。

日常の規律が解除され、人間として存在を感じることができるシーンを求めてしまうのです。

人間本来の傾き

はるか昔から、祭りなどの非日常的な文化が存在していることより、「聖なるもの」を求めるのは人間本来の傾きであることが分かります

これらには、新陳代謝的な役割があるのです。

常に法律に縛られ続ける生活をしていると考えると、突然息苦しくなるのと同様、日常からの解放を心のどこかで求めているのが人間です。

つまり、人間には自然と戦争に向かってしまう傾きが存在しているわけです。

普段は味わうことのできない”破壊への悦び”や”欲求解消の手段”としての役割を持っているわけです。

経済や法律などの、眼には言えない社会というシステムの中で溜まる不満の放出先として戦争が存在しているのです。

現代の戦争

現代になっても、戦争がなくなる兆しはありません。

兵器の最終形態的な存在である、核兵器が開発されて以降、武器による戦争は出来なくなりました。

しかし、戦争は形や質を変えて継続し続けています。

それは代理戦争という形で行われているかもしれませんし、そもそも物理空間ではなくサイバー空間上で行われているかもしれません。

冷戦以降の戦争の形

核兵器を保有するアメリカとソ連を中心として、資本主義と社会主義に分かれて行われた冷戦は、国民戦争の終焉を物語っています。

核兵器が登場したことにより、兵士の存在意義がなくなり、国家としての独立性は失われました

戦争から人間性がなくなり、より機械的なものとなりました。

国民戦争の仕組み自体が崩壊したのでした。

1980年代になると冷戦は終わりましたが、次にテロ戦争が勃発します。

同時多発テロを引き金に、アメリカはアフガニスタンへの攻撃を開始します。

国家同士の戦争は主権侵害であるために正当化されませんが、この時は国家同士ではなく、テロリスト撲滅という名目で戦争が正当化されました。

戦争状態におかれた現代

現代の戦争は国家同士ではなく、テロとの対決となっています。

しかし、テロ戦争の難しいところは、終わりが存在しないところです

思想がなくならない限りテロは発生します。

しかもテロは自国民が引き起こす可能性もあります。

結果的に国家は自国民を監視するための法律や制度を整備していきます。

また民間の軍事会社も術原始、軍事産業は拡大していきます。

テロリストとの戦争は講和条約などで終結させることができません。

国家と国民は、気付いたときには戦争というレジームの中に飲み込まれているのです

国民の自由意志を尊重し、幸福を追求するための近代的な思想である民主主義的思想は、より高度な危険性を生み出してしまったのです。

人間の内側に「聖なるもの」を求める傾向が存在している限り、何かしらの形で戦争は出現します

誰しもがテロリストになる可能性があるのです。

知ることから始める

非常に困難な状態におかれる現代人ができることはなんでしょうか?

それは、人類の戦争の歴史や内的傾向について知る、ということです。

人間が生身で生きることを尊重し、遵守する、これらのことを貫き通すことに意味があります。

システムやレジームとして戦争を撲滅する方法は未だに分かっていません。

そもそもそんなことができるのか、それすらも不明です。

しかし、どんな状況に置かれても、人を傷つけることは間違っているし、困っている人がいたら助けることは、とても大切なことです。

近代化の流れの中で失われかけている、人間としての倫理観や道徳観を持つこと、過去の歴史や人類の傾向について知ること、これらが必要です。

どんな状況に置かれても、人権は守られるべきです。

あらゆる人間には差別はなく、生まれた瞬間から生きていく権利を保持します。

例え科学技術や文明が発展しようとも、普遍的道徳性を失ってはいけないのです。

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まとめ

カイヨワの「戦争論」について解説しました。

人間の本性の働きのもと、「聖なるもの」として戦争は出現します。

このレジームははるか昔から人間が抱えてきた問題であり、産業革命に伴う近代化により、この問題はさらに悪化しています。

カイヨワは我々に、まず知り、そして考えることの重要性を説きます。

民主主義社会において、国家の意志を決定づけるのは国民です。

国民が国家に従うのではなく、国家が国民に従うのです。

ぜひ参考にしてみてください😆

以下、記事のまとめです。

  • カイヨワは、フランスの人類学者・哲学者
  • 「戦争論」の内容
    • 戦争の歴史
      • 原始的戦争とは、身分差のない未開の段階の社会における部族同士の抗争
      • 貴族戦争とは、階層化された封建社会における、貴族階級の役割としての戦争
      • 国民戦争とは、国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う戦争
      • 全体戦争とは、主要国家間で行われる大規模な戦争で、万人が関わることができる
    • 産業革命の影響
      • 戦争は大量破壊と大量生産を通して、新規需要を生み出し、産業革命を促進させた
      • ナショナリズムの台頭により、全体戦争へと進んでいく
      • メディアによる思想の拡散により、ナショナリズムは広く深く伝播した
    • 「聖なるもの」としての戦争
      • 人間本来の傾きを反映する「聖なるもの」に戦争は含まれる
    • 現代の戦争
      • 冷戦以降は、テロが台頭し、常に戦争状態におかれている
      • テロの主原因は思想であるため、終わりが見えない
      • 戦争の歴史と、人類の内的傾向を知ることから始めるべきである

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