現代を生きる哲学者の中で最も有名だと言われるチョムスキー。
言語研究界におけるコペルニクス的転回を成し遂げたことで知られています。
また、彼は言語学者として研究を進めながらも、権力や政治、国家やメディアなどへの鋭い考察を行い、高く評価されています。
この記事では、そんな彼の思想について解説していきます。
チョムスキーとは
エイヴラム・ノーム・チョムスキー(1928-)はアメリカ合衆国の哲学者・言語学者です。
マサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授であり、名誉教授でもあります。
彼が体系化した生成文法理論は情報科学やコンピューターサイエンスの基礎を築き、認知科学の成立に大きく寄与しました。
チョムスキーはユダヤ系移民の両親を持ち、フィラデルフィアにて生まれます。
父親は優れたヘブライ語学者だったことで知られています。
彼は10歳にしてスペイン内戦後の全体主義的傾向の脅威についての作文を小学校新聞に寄稿し、12歳頃には無政府主義的思想(アナキズム)を得ていました。
1945年にペンシルバニア大学に入学してからは、言語学を専攻し、研究を進めます。
1951年からはハーバード大学のジュニアフェローとして研究を継続、そこで言語学の博士号を取得しました。
その後、MITにて教鞭をとり、現在はアリゾナ大学教授として勤めています。
チョムスキーの成し遂げた偉業
チョムスキーが言語研究で成し遂げたことは、まさしく偉業であり、革命的なものでした。
今までの言語学の認識では、言語とはいくつもの単語によって作られる構成物であり、その意味や用法は社会的慣習によって決められている、と考えられていました。
つまり、言語は人間の外に存在しており、我々はそれを後天的に学ぶ、という解釈だったのです。
これは非常に理解しやすい主張であり、天動説のごとく何千年もの間、信じられていました。
しかし、チョムスキーはこの主張をひっくり返します。
彼は言語の存在を否定するのです。
例えば、日本語の辞書である広辞苑をアメリカ人が見つけても、それは言語として理解することができません。
日本人が広辞苑を読んで初めて、日本語として成立するのです。
つまり、言語を話す人間は存在するが、人間の外に存在する言語は虚構なのです。
今までの言語学は外部に存在する言語、という仮定の下、構造の分析や研究を行っていましたが、チョムスキーの主張(普遍文法仮説)はそれを覆します。
言語を研究するためには、その言語を扱う人間を研究する必要が生まれたからです。
言語の実態とは、言語自体ではなく言語を扱う人間の方である、というコペルニクス的転回を成し遂げたのです。
彼の登場以降、言語とは社会的現象ではなく心理的現象であることが知られるようになります。
チョムスキーの思想
彼は言語学の研究から分かる通り、常識を疑うこと、当たり前を当たり前だと思い込まないこと、これらの重要性を強く説きます。
そんな彼の想いは彼の政治・経済思想にも強く影響を与えます。
ここからは、彼の主な思想について解説していきます。
自分で考える
彼の基本的なスタンスは自分の頭で考えろ!というものです。
彼は若いころに無政府主義活動を行っていたこともあり、人々が権威にすがる姿勢を嫌います。
権威にすがることは、自ら考えることを放棄することを指します。
これは常識に囚われることや当たり前を疑わないことと同義でしょう。
彼は、このような態度を取り続けることは、昔日の過ちを繰り返すことにつながると考えます。
チョムスキーは、何を信じ何をするかは、あなたが決めるべきだ!と言います。
メディアや政府、大衆が垂れ流す情報に対して無条件に受け入れるのではなく、自分で考えたうえで飲み込む必要があると、主張するのです。
言論の自由、思想の自由は現在の我々には当たり前に備わっている権利ですが、過去は違いました。
言論は統制され、宗教も思想も弾圧されていました。
現代は全てが許されているからこそ、何かにすがるのではなく、自由の名のもとに自ら考え行動することが重要なのです。
現代社会を考察する
現代を生きる人はマスメディアや政治家、国家の主張をあまりにも短絡的に受け取り過ぎていると、チョムスキーは言います。
彼の視点から現代世界を観察すると、そこは欺瞞と支配で渦巻いているのです。
マスメディアは支配者階級の思惑を反映するだけのシステムであり、全く公明正大ではなく、国家もまた自国の利益を追求するだけの存在となっています。
現代社会の常識もまた、天動説のように間違ったまま信じられている可能性が大いにあるのです。
政治的言語
政治についてを考えてみましょう。
チョムスキーは政治的言語という言葉を使って現代の政治を批判します。
政治的言語とは、不正な行為や都合の悪い事象を隠蔽するための言語を指す
現代の政治において、国家は言葉の意味をすり替えることで国民による正しい認識を妨げているのです。
例えば「防衛」という言葉は、他国からの脅威を排除するために戦闘する、という印象を抱きます。
しかし、実際に国家が行う行動は、他国への主体的な侵略行為です。
国家は政治的言語として「防衛」を使うことで、他国への侵略行為をいかにも正しいことかのように、正当化しているのです。
アメリカがベトナムを攻撃した場合は、政府は「防衛した」という表現を使い、それを拡散するメディアもまた、同じ表現を使います。
国民はその表現を疑うことなく受け入れるのです。
チョムスキーは、現代政治を語る際に使われる言葉の多くは、思考を妨げるようにできている政治的言語である、と言います。
この観点から政治を考えると、様々な見解を得ることができます。
例えば、アメリカは民主主義を支援する素晴らしい国である、という印象から、自国にとって都合の良い民主主義国を助けているだけなのでは?という新たな印象を抱くこともできます。
国家利益
国家は自国の利益を追求するとチョムスキーは言います。
これは自国の人々の豊かさを追求するのではなく、国家の豊かさを追求している、というのがポイントです。
基本的に国家は膨大な資金を防衛予算へ投入し、教育や医療への支出は削減する傾向にあります。
これは、社会支出の増加は民主主義の加速を促し、産業界の独占を破壊し、利益の再分配が発生してしまうからだと、彼は言います。
国民は税金を支払うことで自由と安全を担保してもらっているように見えて、実は帝国主義的な支配に貢献しているのです。
ロシアにてボリシェビキが台頭してきた時には、アメリカは「赤の恐怖」というプロパガンダを通して、共産主義弾圧を行いました。
ロシアのムーブメントは反アメリカ的である、と決めつけたのです。
なぜそこまでするのか、それは国家にとって真の脅威は思想の拡大だからです。
民主主義社会において、大多数を獲得する思想は国家の政策に反映されます。
当時のアメリカは、自国の利益を損なうような思想を台頭させることを拒み、帝国主義的な政策を行ったのです。
現代の真の支配者
現代社会の本当の支配者はいったい誰でしょうか?
チョムスキーは、少数の資本家層であると言います。
国家や国民を操る真の権力は、国家の政治機関には既に存在せず、実質的な権力は、我々の経済活動を司る少数のお金持ちのもとにあるのです。
つまり現代社会は、お金持ちをさらに幸福に、お金持ちにする、という基準に回っているということです。
チョムスキーは、自らを「啓蒙主義や古典的自由主義に起源を持つ、中核的かつ伝統的なアナキズム」と称しており、人間の自由と創造性を重視します。
そんな彼の思想を軸にすると、資本主義的な賃金労働は不道徳であると言えます。
彼らの行動は、自らが望んでその仕事をやっている場合以外、全て賃金労働であるからです。
現代の経済システムは、働いている人間にとっての最善ではなく、資本にとって最善か、が重視されているのです。
メディアは想像以上の影響力を保持します。
彼らは図らずとも、企業が政治を支配している現状を支えているのです。
企業の利益追求と、市民の自らの望む自由な生活や、環境に優しい態度は、時として対立します。
誰も悪意を持っていないとしても、この構図は成り立ってしまうのです。
未来は明るい
権力の腐敗や、経済の停滞、帝国主義の台頭は普遍的な問題です。
しかし、我々はそんな困難を乗り越えながらも、現代まで進歩し続けてきたのです。
思想に関しても、人権の保護や個人の自由を理想とする、先進的なものが採用されています。
チョムスキーは、これらの理由から、人類の未来は明るいものになる、と予感しています。
ただ、我々が知っておかなければいけないのは、どんな政治体制であろうと、権力は言葉の乱用を通して、反対意見をつぶすことがある、ということです。
常識や当たり前も、誰かの思惑によって構成されている可能性があります。
だからこそ、チョムスキーは「自分の頭で考えること」の重要性を強く訴えるのです。
「チョムスキーの思想」まとめ
チョムスキーは「自らの頭で考えること」の重要性を説きます。
彼は、知識人とは社会の思惑に盲目的に従わず、あらゆるものを疑問視できる人間である、と言います。
現代世界は情報化が進み、ますます思考力の重要性が高まっています。
ぜひチョムスキーの言葉を参考にしてみてください😆
以下記事のまとめです。
- チョムスキーはアメリカの哲学者・言語学者である
- 言語学というのは、人間の外ではなく、人間の認知能力に関する研究である
- 現代世界はメディアや政治権力の影響力が増している
- そんな中で、我々は自らの頭で考える、行動することが重要である
コメント