技術の発展に伴う情報化社会は、人類を物質的に幸せにしてくれると同時に、精神的な不安をもたらしています。
我々は前人未踏の経験をしていく中で、心のよりどころを探しているのです。
このようなシチュエーションは日本の仲でも何度かありました。
そのうちの1つが明治維新です。
明治維新が起こった際、日本は大混乱状態でした。
ずっと鎖国していた日本が突然海外との関係を持ち始め、政治や統治の在り方が大きく変わっていったのです。
そんな混沌として時代に人々の心の光となったのは「学問のすすめ」でした。
人間として目指すべき像をしっかりと提示してくれるこの書は多くの人に影響を与え、日本の発展の基礎となったのです。
この記事では、そんな「学問のすすめ」について分かりやすく解説していきます。
福沢諭吉とは
福沢諭吉とは、幕末明治動乱の時代を生きた蘭学者・教育者です。
主な活動として、「学問のすすめ」を書き、慶應義塾を創設しました。
1835年に下級武士の子供として生まれた福沢は、幼少期に父親を亡くし、とても貧しい生活を送っていました。
幼いころから、優秀でも身分のせいで評価されなかった父親を悔やんでおり、身分制度からの解放を目指していました。
学問を熱心に学ぶ福沢は、藩からの要請を受け蘭学を学び、それを江戸で教えることになります。
しかし、蘭学を学ぶ中である1つの大問題にぶつかります。
それが、海外の主流の言語はもはや英語であり、オランダ語はあまり役に立たないということです。
それを感じた福沢はオランダ語を介して英語を独学し、幕府からの認可を受けて欧米に3度視察に行きます。
そこで福沢が見たのは、日本とはかけ離れた西洋の発展具合と、植民地化された国々の悲惨さでした。
日本が植民地にされないように、日本をさらに発展させるために、福沢は37歳にして「学問のすすめ」を書きます。
福沢諭吉「学問のすすめ」の解説
「学問のすすめ」は17編の冊子から構成されたもので、”国民として心得”が記されていました。
この本は当時としては異例の340万部が売れ、なんと日本国民の10人に1人が読んだこととなります。
また、結果的に全国から学問を志す人間が東京に集まってきました。
なぜ学問を学ぶのか
なぜ福沢は学問をすすめたのでしょうか?
これには大きく分けて2つの理由があります。
- 廃藩置県
当時は明治維新が起き、元武士の人々は皆失業していました。
士農工商の身分制度もなくなり、四民平等が成し遂げられていました。
一見階級社会が終わり平等な世の中が生まれて良かった、と思ってしまいますが、実は問題点もありました。
それが、全ての人々が同じスタートラインに立ったので、自らの人生を自ら作り出す必要性が生まれた、という問題です。
人生における決められたレールがないので、自らレールを作り出すことが求められました。
そして自らレールを引くことは、学問を学んでいないと難しかったのです。
- 植民地化
西洋列強からの圧力は凄まじく、日本は国の存亡の危機に瀕していました。
日本が鎖国を終えたのも海外からの圧力あってです。
このままでは日本は外国の属国になり、植民地化されてしまうことを危惧した福沢は、日本という国を強くしようとしました。
国全体を強くするにはそうすればいいのか?
その答えが国民1人1人を強くする、というものでした。
だから福沢は国民に学問をすすめることで、日本を強化しようとしました。
国民の意識を高める
「学問のすすめ」の目指す目的の1つに、日本国民の意識を高めるというものがあります。
当時の日本国民は、徳川の極端な階級制度から突然の四民平等に切り替わり、すっかりと政府に頼りっきりになっていました。
国とトップが主導で明治維新を引き起こしたが為に、国民たちは、自分たちに国の存亡は関係がない話だと思い込み、政府が勝手に国を成長させてくれるだろう、という思考になっていました。
国民のお上頼みが蔓延していたのです。
福沢は、人民が気力を失えば文明の力もまた失なわれていくだろう、と考えました。
だからこそ、「国と渡り合える人間になれ」と国民を鼓舞しました。
お上に頼らず、指示待ち人間にならず、己の力で判断し行動することを強く推奨したのです。
国家というチームの一員として、国民の意識を確立したかったのです。
実学
福沢は「学問のすすめ」の中で実学の重要性を説きます。
実学とは何でしょうか?
実学とは普通の生活に役立つ学問を指します。
実学とは、日常生活で役立つ学問である。
福沢は知識を実生活にまで落とし込み、行動に起こすことに価値を感じていました。
これは裏返すと、知識だけを持って頭の中でこねくり回している人間を否定しているのです。
- 論語読みの論語知らず
- 文字の問屋
- 飯を喰ふ字引
これらのような、知識だけを持っていてそれを実践まで落とし込めていな人は、国のためには無用の長物、とまで言っています。
実学とは普通の生活に役立つ学問である、と言われてもピンと来ない方もいらっしゃるでしょう。
実学の定義をさらに詳しくしていくと、以下のように表わすことができます。
実学とは、自分の頭で考えることである。
つまり、自分の頭で仮説を立て比較検証をし、実践をする、という行為こそ実学の本質なのです。
これを理解すると、日常生活の全てが学問の対象になることが分かると思います。
- 風呂の水を焚くこと
- 美味しい料理を作ること
- 他者との良好な人間関係を構築すること
全てが学問の場であり、実践の場であります。
先ほど挙げたように、欧米社会の近代化(自由平等に伴う民主主義化)と戦っていくには、日本を強化するしか方法がありませんでした。
そして日本を強化するためには国民1人1人を強化する必要があり、その軸となるのが実学という考え方なのです。
1人1人が自分の頭で考えられる判断力を持った人間になることを、福沢は目指したのです。
独立自尊
何にも頼らず、精神的に独立を果たし、自分の頭で考えられる判断力を持つことを”独立自尊”といいます。
独立自尊とは、精神的に独立し、人に頼らず自分で考えて判断できることを指す。
多くの人は精神的な独立ができていないものです。
- お隣さんがいい車を買ったからうちも買いたい
- パン屋さんになりたいけど、周りの友人がなんていうかわからないから、大企業に就職する
- 高級なバッグが欲しいがために働く
上記の事例は全て独立自尊ができていない状態です。
なぜならそれぞれ
- 他人の持ち物に支配されている
- 人の目に支配されている
- 物に支配されている
何かに自分の精神を支配されているからです。
精神が独立しており、自分に自信を持っていれば、周りのものに心を支配されることはないのです。
そして人間関係もまた精神の独立が前提としてあるからこそ、良好に成り立ちます。
逆に独立心がないと、人間は卑屈になってしまいます。
相手のことばかりを気にして、それによって自分の精神も揺れ動いてしまうのです。
福沢は、この卑屈が積み重なるとそれが本心になってしまうから、はやく独立自尊を目指すべきだと主張します。
人間交際
独立というと多くの人は孤独をイメージしてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。
独立 ≠ 孤立
独立とは、個と公共心が密接に繋がっている状態を指しており、民主主義には必要な状態です。
独立は他者との良好な関係を作る、つまり良い人間交際をするためには必要な要素なのです。
福沢は人間交際を活発にする方法を3つ挙げています。
- 弁舌を学ぶこと
- 顔色容貌を快活にすること
- 交際を広く求めること
コミュニケーション能力を学び、いつも上機嫌で話をすること、人間関係は広く求め、閉じないこと、これらを注視しました。
演説のすすめ
福沢は国民の士気を高め、独立自尊を成し遂げるための手段の1つに”演説”を掲げています。
イギリスの議会を見たときに、日本との大きな差を感じた福沢は、演説にこそ勝機があると考えたのです。
演説は以下のプロセスから成り立ちます。
- 観察(物事の観測)
- 推理(物事の道理の理解)
- 読書(知識の蓄積)
- 議論(知識や意見の交換)
- 演説(正しいと思う考えの拡散)
これらを繰り返すことで、日本国民が強化されていくと考えていたのです。
しかし日本には、意見を主張することはおこがましい、といった風潮があるのは事実です。
- 以心伝心
- 口は災いの元
これらの言葉は、日本人同士は言葉を通さなくても気持ちで伝わること、を示しています。
しかし、福沢はこの日本人気風をぶった切ります。
尻込みや遠慮はいらないから、全力でぶつかりあうことを推奨しているのです。
福沢の目指す理想は、活発な精神のもと活発に議論・行動を繰り返し、指示待ち人間を脱することでした。
当事者意識を持ち、いつでもプレイヤーとして動き続けることが大切なのです。
福沢諭吉が目指した日本
福沢は、全ての日本人が独立自尊を果たし、ミッション意識を持って日本のために生きている世界を理想としていました。
1人1人が使命感を持って生きている社会です。
現代で言うのであれば、社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)やNPO法人などが当てはまりそうです。
さすがに日本人全員が起業家になるのは難易度が高いかもしれません。
しかし、独立自尊を果たすことであれば実現することはできるのかもしれません。
福沢が国民に要求するものはおそらく以下の2つでしょう。
- 知識
- 行動力
この両者を持ち、独立自尊を果たす人間を、福沢は品格のある人間だと表現します。
福沢諭吉「学問のすすめ」まとめ
福沢諭吉は「学問のすすめ」という名の、混乱の時代を生き抜くための一筋の光を国民に提供しました。
国民の学問を学ぶ意欲を生み出すことで日本を強化し、西洋列強と渡り合っていけるような国の下地を作り上げたのです。
以下記事のまとめです。
- 「学問のすすめ」には日本国民としての心得が書かれている
- お上頼みの国民意識を否定した
- 自らの頭で考えて判断し行動する”実学”の重要性を説いた
- 精神的な独立を表わす”独立自尊”を重視した
- 国民の活発な意識を醸成する方法として、演説を用いた
- 福沢は日本人全員が”独立自尊”を果たし、ミッション意識を持つことを理想とした
ぜひ参考にしてみてください。
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