現代の日本では自由主義的な思想が一般的です。
誰もが自分の好きなことを追求できる、なりたい者になれる、欲しいものを手に入れられる、そんな素晴らしい時代です。
そして、そんな時代の礎を作った人物の中にミーゼスがいます。
彼は社会主義が繁栄していた時代から、資本主義を擁護し、自由主義の重要性を説き続けた人物です。
この記事では、そんなミーゼスの著書である「ヒューマン・アクション」について解説していきます。
ミーゼスとは
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881-1973)は、オーストリアの経済学者です。
現代の自由主義思想に大きな影響を及ぼしたことで有名です。
彼の弟子には、フリードリヒ・ハイエクがいます。
ハイエクについて興味のある方はこちらもご覧ください😆
ミーゼスは1881年にオーストリア・ハンガリー帝国にて生まれます。
ウィーン大学にて法学と経済学を学び、1906年に法学博士号を取得します。
大学を卒業した後は、オーストリア商工会議所にて勤務、最終的にはチーフエコノミストにまでなります。
第一次世界大戦中は戦場にも出陣し、砲兵大将として従軍します。
そんな彼ですが、ドイツによるオーストリア併合の際に、思想が危険視され逃亡せざるを得なくなります。
自由主義的な思想とナチズムの思想は相容れない関係性だったからです。
結果的に彼はスイスに逃げ、最終的にはロックフェラー財団の援助のもと、アメリカへ移住します。
その後はニューヨーク大学経営学大学院にて客員教授を務め、生涯を終えます。
ミーゼス「ヒューマン・アクション」の解説
「ヒューマン・アクション」(1949)はミーゼスによって書かれた経済学書です。
一般的に流通しているものは、ドイツ語でかかれた「国民経済学、行為と経済の理論」を英語で書き直されたものになります。
本来は彼がスイスに在住している時に完成していたのですが、ドイツ政府の圧力により、出版ができませんでした。
ちなみに彼の過去に住んでいたスイスの家はナチスドイツの中央当局によって家宅捜索され、蔵書は全て没収されています。
結果的に英語版をアメリカで出版、大ヒットとなりました。
ミーゼスの目的
彼が本書を記した理由は大きく分けて2つあるとされています。
それが、以下の2つです。
- 社会主義への批判
- オーストリア学派の統一
ミーゼスが「ヒューマン・アクション」を書いた当時の時代背景を考えてみましょう。
世界ではイタリアのファシズムやドイツのナチズムなど全体主義的な思想が流行っていました。
これらの国家はもれなく社会主義的な経済体制を築いています。
ミーゼスはこの、社会主義的な市場への干渉に問題があることを強く主張していたのでした。
彼は特に、計画経済や制限付き市場などのアイデアを含めた”市場社会主義”という経済体制を非難します。
そして、資本主義の可能性を強調し、客観的な証拠を集めることで擁護したのでした。
また、彼のもう一つの目的にオーストリア学派の統一というものがあります。
オーストリア内での経済学における論争は長くに渡って続いていました。
しかし、誰かが思想の全体像を体系化しない限りは、更なる無駄な論争を引き起こす可能性もあります。
ミーゼスはバラバラになっていた経済学派を統一的な経済学理論としてまとめあげようとします。
その手段の1つが、「ヒューマン・アクション」の出版だったのです。
経済学とは何か?
経済学とは何でしょうか?
これは人それぞれ、様々な解釈を抱いていると思います。
事実として、経済学を含む多くの社会問題は倫理的・道徳的な問題として扱われてきました。
統率力を持った人間として素晴らしい君主と、道徳観のある善良な市民がいれば、理想的な社会を生み出せるという考え方です。
しかし、それが達成できるのであれば政治も経済も法律も必要ありません。
現実は、そんな希望的思想を体現できるほど甘くはないのです。
ミーゼスはこれを踏まえたうえで、経済学とは倫理や感情などとは関係のない、ありのままの人間の行動を扱う学問である、と考えます。
倫理観を学問に持ち込むと混乱が生じます。
物事の善悪や平等性、公平性など様々な疑問が生じてしまうからです。
ミーゼスはこれらを全て排除し、経済市場にて発生しうる現象について、できるだけ客観的に観察していきます。
人間はどうあるべきか、何をするべきか、ではなく、現状の人間の行為を検証し、それを法則や規則性に落とし込んでいくのです。
これが、ミーゼスの考える経済学です。
経済学のあるべき姿
ミーゼスは、経済学とは物理化学や数学などと同様に、誰が扱っても誰が対象であっても成り立つ学問であるべきだと主張します。
なぜ彼はこのような主張をするのでしょうか?
実は経済学者の中には、偏見を持っている者も少なからず存在していました。
人種差別者や愛国主義者、社会主義者など様々なタイプの人間がいたのです。
ミーゼスは、このような偏った意見を持つ人が経済学を語ることの危険性を理解していました。
経済学とは、文化や歴史、時代を超越して成り立つ法則について議論するべきです。
そこに己の思想の偏りや主義を持ち込んではいけません。
あくまで主観的な意見を全て取り除き、できるだけ客観的なアイデアだけで構築されるべきなのです。
しかし、経済学は自然科学と違って自分の願望が入り込む余地が大いにあります。
だからこそ、ミーゼスは経済学のあるべき姿を改めて主張しているのです。
経済学は繁栄をもたらすか
経済学は現実世界に繁栄をもたらすことができるのでしょうか?
経済学に懐疑的な人は、世界の貧困や飢餓、戦争などの要素を取り上げて、経済学の無力さを訴えるかもしれません。
しかし、彼らは過去に経済学がもたらしてきたものを見失っている、とミーゼスは言います。
アダム・スミスが「国富論」によって経済学を体系化・樹立してからというもの、世界は確実に繁栄してきました。
古典派経済学が訴えるのは、自由主義的な思想です。
経済という観点から、人間の自由を主張、人間の持つ可能性を保証したのです。
結果的に技術革新が起こり国家の規模は拡大、社会は確実に繁栄しています。
経済学は以下のような主張を世間に反映させました。
- ビジネス活動は社会の繁栄をもたらす
- 過去の手段に頼るのではなく、新たなものに投資するべきである
- 政府は個人の自由意志を奪ってはいけない
- 機械は人間の敵ではなく、新たな富を生み出す
今では当たり前の概念も、始まりは経済学なのです。
産業革命が起きたのは、経済学者が自由放任主義を訴えたからなのです。
自由主義
ミーゼスの訴える経済学(新古典派経済学の中のオーストリア学派)は自由主義を主張します。
人間は自らの不安を解消するために行動します。
色んな人が色んな事を考え、それぞれの感性や思想で行為します。
その行動が学問や経済の発展に繋がり、最終的に文明の繁栄に繋がります。
人間には、与えられた環境に翻弄されるのではなく、ではどうすればこの不安はなくせるか?という様に行為をすることによって環境を変化させる能力があります。
これが、人類を発展させる根源のパワーでもあります。
夢を持って生き、行動し、それを実現していくのが個人としての人間です。
全ての人には環境に変化を起こす力があります。
だからこそ、政府の役割とは、そんな国民の身体的な安全と健康を保証すること、国家の安全を守ること、それに尽きるのです。
政府には本来、人々の生きる目的を定め、その手段を勝手に定義する権利は存在しないのです。
共同体主義
人間は本来、一人ひとりが自分の人生を主体的に選択していくべき存在です。
しかし、20世紀前半の世界ではそんな自由主義的思想は多くの批判を集めました。
当時の主流は共同体主義です。
カール・マルクスの「資本論」にある通り、個人の力は否定され、全体の力が大きく主張されました。
この思想はやがて社会主義や全体主義へと繋がっていきます。
ミーゼスはマルクス主義などの主張は、合理性を無視するイデオロギーである、と主張します。
誰もが持つ素晴らしい人間の可能性を無視して、国家が支配する社会は合理的ではありません。
どんなに優れた支配者であっても、個人の幸福を保証することはできません。
なぜなら、自分の幸福を定義できるのは自分しかいないからです。
いつの時代も思想には偏りが生まれます。
共同体主義が主流になれば、自由主義の重要性は忘れられます。
一方、自由主義が流行りすぎると共同体主義のニーズが増えてくるでしょう。
そんな世界の中で、「ヒューマン・アクション」は自由主義の核として現在も名を馳せています。
ミーゼス「ヒューマン・アクション」まとめ
この記事では、ミーゼス「ヒューマン・アクション」について解説しました。
自由主義を強く主張し、社会主義的支配体制に反対した彼の思いは、今も多くの人に受け継がれています。
ぜひ参考にしてみてください😆
以下記事のまとめです。
- ミーゼスとは、オーストリアの経済学者である
- ミーゼスの目的は、社会主義への批判とオーストリア学派の統一
- 経済学とは個人の意思を反映しない、客観的な学問であるべき、また社会の繁栄は経済学によって支えられている
- 自由主義は人間の可能性に懸ける思想であり、共同体主義は、個人ではなく全体の力を信じる思想
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