岡倉天心をご存知でしょうか?
日本人の思想家として、世界に日本の文化を発信して人物です。
彼の著書である「茶の本」では、日本文化や東洋思想についてが詳しく綴られています。
この記事では、そんな岡倉天心「茶の本」について解説していきます。
岡倉天心とは
岡倉天心(1863-1913)とは日本の思想家・文人です。
激動の時代である幕末に生まれ、日本の文化や思想を世界に発信し続けた、日本思想界の重要人物の1人でもあります。
彼の著書である「茶の本」は、茶という観点から日本人の持つ特有の思想を読み解いてく本で、今までに多くの人に影響を与えてきました。
時代背景
岡倉天心が生きた時代は、激動の時代でした。
世界は急激な欧米化・近代化の波にさらされ、各地で戦争が勃発していました。
日本も日清戦争と日露戦争を経験し、その存在感を世界に発揮していきます。
当時の日本は世界中から注目の的になっていました。
突如鎖国を取りやめ、世界に開かれた日本という国が、中国やロシアなどの大国を打ち負かしていったからです。
諸外国の人々は日本人の強さの秘訣を知ろうと、日本人に関連する情報を求めていました。
そこで出版されたのが、新渡戸稲造「武士道」でした。
「武士道」についてはこちらで詳しく解説しています。
「武士道」では、日本人の精神性について詳しく語られていますが、それはあくまで一部分でしかない、と岡倉は考えます。
日本人本来が持つ、慈悲の心や自然への畏敬の念などへの言及が少ないと主張したのです。
事実、当時の「武士道」は日本人の戦闘思想について詳しく知りたい、という需要を捉えていたために、日本人の平和思想などの項目はしっかりと共有できていませんでした。
日本の魅力は戦いに勝つ思想だけではない、ということを伝えるために、岡倉は「茶の本」を出版します。
岡倉天心「茶の本」の解説
茶の本とは岡倉天心の著書で、1906年(明治39年)にニューヨークで出版されました。
岡倉天心のアメリカでの講演をまとめたものであり、原題は「The book of tea」です。
近代化が進む当時の世界では、生産性や物質的なモノを追い求める傾向がありました。
そんな状況の中、岡倉は「茶の本」を通して、精神的なモノを求める東洋思想の重要性を伝えたのでした。
茶とは何か
「茶の本」の主題でもある、茶とはなんでしょうか?
ここで言う茶とは、飲み物の茶から茶室、茶を飲むまでの儀式など、茶に関連する全ての情報が統合されたモノを意味しています。
そして岡倉は、茶室にて一杯の茶を飲むことから多くのことを学べると主張するのです。
そもそも、茶の文化は中国から日本にやってきたものです。
中国ではもともと茶を薬として使っていました。
それが日常的に飲まれるようになり、上流階級の人々によってさらに洗練されていきます。
そこに禅の僧侶たちの老荘思想も取り入れられ、ついに茶の礼儀作法が打ち立てられていくわけです。
中国では皇帝が変わったり戦乱の時代がやってきたりとで、茶の存在は忘れられていきます。
しかし、日本は栄西という禅の僧侶によって中国から茶の文化が持ち込まれていました。
以降、茶の文化は日本中に広がっていき、日本特有の文化を築いていきます。
茶の文化は姿を変えた道教であり、ある種の日本人的宗教なのかもしれません。
老荘思想と禅
茶の文化は老荘思想と禅の影響を色濃く受けています。
老荘思想は道教、禅は大乗仏教を源流としています。
両者が上手く融合した結果、”茶の文化”という日本独自の宗教性を持つ思想が生まれたのです。
簡潔に両者の思想をまとめると、以下のようになります。
老荘思想 = 自然に身を任せる、不完全性(虚)を認める
禅 = 小さきものの偉大さを認める
老荘思想の”虚”
老荘思想における”虚”とは、からっぽであることを意味します。
虚とは、不完全性を意味し、からっぽの状態を指す
老荘思想においては、真に本質的なものは全て虚の内にしかないと考えます。
虚はからっぽの状態なので、全てを容れることができる万能性を持ち、ありとあらゆる運動を可能にしている、と考えるのです。
例えば、コップが役立つのは、水を入れる空間が存在しているからです。
物体自体ではなく、虚(からっぽ)の部分を本質と捉えるのです。
この思想は日本文化のあらゆる部分に反映されています。
例えば絵画では、あえて空白部分をつくることをします。
これは、あえて”虚”を作ることで、鑑賞者が自ら作品を補完していくことを重視しているからです。
柔道では、自分を”虚”にすることで、相手の技を誘い出し、相手の力を使って相手を倒します。
背負い投げは、相手が向かってくる力があるから成し遂げられる技です。
”虚”には無限の可能性があります。
そしてこの思想は茶にもしっかりと反映されています。
茶を嗜む空間として茶室が存在します。
茶室はまさに”虚”の空間なのです。
茶室の中にはこれといった装飾品はなく、掛け軸と花と違い棚があるくらいです。
からっぽな空間だからこそ、来る人によって別の空間を生み出せるのです。
中にいる人が違えば、その空間は全く別のものになります。
茶室に決められた部分はなく、全てが不完全だからこそ、無限の可能性があります。
同じ空間は二度と作り出せない、毎回の茶室での出会いが新しいものになる、という思想は、”一期一会”という言葉からも理解できます。
禅
禅は小さきものの偉大さを認める思想です。
これは、日常のありふれた暮らしに宗教儀礼と同様の重要性を認めることでもあります。
この世の物事を結び付けている広大な相関関係からみれば大小区別などはとるにたらず、一個の原子のうちには宇宙全体に等しい可能性が内包されていると説いたのです。
禅が特に東洋思想に貢献しているのはこの点であり、この思想により人間は目の前の現実をかけがえのないものとして味わうことができるようになります。
一杯のお茶を飲むという行為であっても、そこから無限の宇宙の真理を見ることができるのです。
茶室
茶室1つとっても、そこには日本的思想を示す部分が多くあります。
例えば、茶室のことを”すきや”と呼びますが、この”すきや”にいくつもの意味合いが込められているのです。
好き家=茶人の好みにあわせて作る建物
空き家=からっぽの建物
数寄屋=非対称の建物
好き家とは、茶人の美意識の要求にかなうような家を指します。
好き家が独立的に完成しているのではなく、あくまで茶人のために存在している、というスタンスを持つのです。
西洋の建築では、建築物自体の完全性を求めますが、好き家のスタイルでは、あくまで建物は不完全であり、茶人好みに変わっていくのです。
空き家とは、からっぽの建物を意味します。
必要以上の装飾物はなく、”虚”の空間なのです。
しかし、からっぽだからこそ無限の可能性を秘めているのです。
数寄屋とは、非対称の建物を意味します。
完全を求めるのではなく、あえて不完全なものを作ることで、茶人の心の中の働きを活性化させます。
違い棚などがまさに非対称性を示しています。
東洋思想における真の美とは、不完全なモノを前にして、心の中で完全なものに仕上げようとする精神の働きにこそ見出せるのです。
西洋的な完全性を求めるシンメトリー(対称)のモノは、見る人の感覚を固定してしまうので、そこに無限の可能性は存在しないのです。
近代化と東洋思想
近代化は進む現代では、西洋的思想が広まっています。
- 科学の発展により、人間は自然を支配することができる
- より完全性の高いものを求める
- 物質的な成功だけを求める
- 生産性を重視する
近代の欧米化の流れは、物質主義的な思想を世界に蔓延させました。
精神性を捨て、より完璧で生産性が高く目に見えるモノを求める文化です。
しかし、この潮流のままではいつか限界にぶつかります。
精神性を捨て完璧だけを求めるようになると、世界の発展は止まり、人間は精神を病んでしまいます。
そこで岡倉天心が注目したのが東洋思想だったのです。
欧米化が進み、戦争を通して物質文化を発展させていく人類に対して、茶の思想を通して東洋文化の重要性を伝え、現状の危うさを訴えたのです。
近代化はいつか行き詰まりを迎えます。
そんな時に日本の伝統的思想が再び意味を持つのです。
岡倉天心「茶の本」まとめ
岡倉天心は「茶の本」を通して、近代化・欧米化が進む社会に警鐘を鳴らすとともに、日本文化の持つ可能性や素晴らしさについて世界に発信しました。
精神性を欠いた近代化の流れは、いつか行き詰まりを迎えます。
そんな時には、日本文化に立ち返ってみることが重要かもしれません。
以下記事のまとめです。
- 岡倉天心とは、日本の思想家・文人である
- 茶とは、茶に関連する全ての情報を含めた、日本的思想・文化を指す
- 老荘思想と禅が、茶の思想の源流である
- 近代化の流れに伴い、精神性が疎かにされている、そして精神性を重視する東洋思想は、これからの時代において大きな意味を持つ
ぜひ参考にしてみてください。
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