「大衆の反逆」をご存知でしょうか?
スペインの哲学者であるオルテガによって書かれたこの作品は、現代社会を予見しているような哲学書となっています。
大衆化する社会の中で、人間はどうなるべきか、社会はどうあるべきなのか、が描かれています。
この記事では、そんなオルテガの「大衆の反逆」を解説していきます😆
オルテガとは
ホセ・オルテガ・イ・ガセットとは、スペインの哲学者です。
彼の父親はジャーナリスト、母親の祖父は大新聞社のオーナーと、生まれながらにしてジャーナリズムの家系であったことで知られています。
彼の書いた本には、『ドン・キホーテをめぐる思索 』『大衆の反逆』 などがあります。
高度大衆化社会の到来をいち早く予見していた彼の著書である「大衆の反逆」は、現代にも当てはまるポイントが非常に多いです。
オルテガ「大衆の反逆」の解説
「大衆の反逆」はスペインの哲学者であるオルテガによって書かれた作品です。
新聞に連載されていた文明批評論をまとめたもので、1930年に刊行されました。
高度大衆化社会の到来の予見やファシズムの台頭などに関して、世界中に警鐘を鳴らした作品として有名です。
この本が出版された1930年代はファシズムの勢いが凄まじい時代でした。
- イタリアのムッソリーニ
- ドイツのヒトラー
- その他各地での内戦
大衆が権力の中枢に上り詰めたことで、世界中が深刻な危機状態になってしまったのです。
そんな状況に危機感を覚えたオルテガは「大衆の反逆」という本を通して、大衆化社会の危険性を唱えたのでした。
大衆とは何か
大衆とはいったい何でしょうか?
大衆とは、個性を失い、群衆化した大量の人間たちです。
大衆とは、個性を失い、群衆化した大量の人間たち
オルテガの考えた大衆は、以下のような人々です。
- 大量にいる
- 自分が意味ある存在として位置づけられる場所(帰る場所)がない
- 個性がない
- 孤独
- 皆と同じであることに快感を覚える
- 皆と同じでないものを排除する
なぜ大衆は生まれたのか
このような大衆はなぜ生まれたのでしょうか?
オルテガはいくつかの理由を挙げています。
- 都市部への人口の流入
19世紀は人口と寿命が大きく成長した時代でした。
農村部では人が溢れてしまい、一方都市部では工業化が一気に進んでいるので、労働者が足りていません。
その結果、多くの人々は農村部から都市部に移住していきました。
もともとあった生活基盤を捨て、多くの人が都市部へと移り住んだのでした。
都市部では労働者としての需要はありますが、それはあくまで代替可能な社会の歯車の1つとしての需要です。
移住してきた人々は、人間関係を構築することもなく、孤独にさいなまれてしまいます。
- 近代教育
教育もまた19世紀になってから大きく変わりました。
いわゆる近代教育と呼ばれるものです。
近代教育の方針は工場でしっかりと働ける、規律を守れるような人間を生み出すことです。
大切なのは、のびのびと成長することではなく、一夫的にじっと話を聞いていられる身体を作り出すことでした。
長時間の工場作業に耐えられる人間を生み出そうとしたのです。
結果的にこの近代教育は、人間の個性を奪っていきました。
何者でもない、ただ労働者として社会的に需要はある、そんな人間が大量に生まれたのです。
生き方の問題
大衆の問題点は何でしょうか?
オルテガは以下のようなものを挙げています。
- 正しさを所有できていると勘違いしている
- 自分の能力や理性を疑わない(自分や社会を完璧だと思い込んでいる)
- 自分を超えるモノへの畏敬の念がない
大衆は周りの人間と自分が同じである状態だと、苦痛を覚えるのではなく、かえって快感を覚えます。
倫理的に正しいかではなく、快感を覚えるかどうかで行動するのです。
そして、自分たちと同じではない異端児がいると排除しようとするのです。
オルテガは大衆のことを次のように表現します。
大衆とは、自分がみんなと同じだと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えす、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である
オルテガ「大衆の反逆」
リベラルとは何か
大衆に足りないのはリベラルの姿勢です。
リベラルな姿勢とは、考え方が違う人と共生する姿勢です。
リベラルとは、思想の寛容を意味し、考え方の違う人との共生を目指す
リベラルの発祥はカトリックとプロテスタントとの間で起きた30年戦争だとされています。
両者は宗教的不寛容から争いを起こしてしまい、のちに反省の意味を込めて、他者への寛容を目指すことを決定します。
これがリベラルの思想に繋がってくるのです。
高度大衆化社会における大衆の姿勢はどうなっているでしょうか?
多くの場合は、自分たち大衆の意見に反対するものは軒並み排除していきます。
最悪の場合は処刑されたり、牢獄に入れられたりします。
リベラルとは、社会を一色に染め上げる思想ではありません。
多数派も少数派もお互いがお互いを尊敬しあい、そのうえで共生していくことが重要なのです。
リベラルの鍵は礼節にあり
社会的弱者や少数派を排除することなく、共生していくにはどうすれば良いのでしょうか?
オルテガは、大切なのは礼節やマナー、気遣いや作法だと言います。
どんなに相手が弱者であっても、主張が間違っていたとしても、礼儀正しく対等に接することが重要です。
リベラルとは、自由な思想の上に多数決で思想を統制することがゴールではありません。
人には人の思想があります。
相手が持っている自由な思想を、丁寧に認めていく、このような文明性が求められるのです。
大衆は反対者を排除する方向に走りますが、それでは過去の過ちを繰り返すだけです。
そうではなく、自分が理解できない思想や主張を持つ人とも共生していく道を探すべきなのです。
オルテガは以下のように表現します。
敵と共に生きる
反対者とともに統治する
オルテガ「大衆の反逆」
精神的な貴族
オルテガが理想とした生き方を精神的な貴族と言います。
金銭を持っていて優雅な生活をしている貴族ではなく、精神的に成熟して洗練されている人を指します。
庶民の中での貴族を割合を増やすことが重要だと考えたのです。
精神的な貴族に当てはまる人は以下のような人です。
- 自分とは異なる人を受け入れる粘り強さや克己心を持っている
- 自分の居場所を持っている
- 社会の中で自分の役割を果たそうとしている
- 大衆に迎合せず、大衆と共にある
このような生き方が大衆のあるべき姿だと主張したのです。
過去を無視する時代
オルテガが「大衆の反逆」を書いた時代は、ヨーロッパ各地で革命が起きていました。
過去を省みず、現在の利益だけを追求する大衆が、野蛮な行為を繰り返していたのです。
今存在している政治制度や統治状況は、全て過去の人々の努力によって培われてきたものです。
しかし、大衆たちはそんなことは構わずに、破壊行動を繰り返していくのです。
この流れは非常に危険であると、オルテガは考えました。
今まであった社会的基盤を自ら破壊し、でも地盤がぐらつき始めると大きな不安にさいなまれてしまう、そんな大衆を危険視したのです。
彼らは自ら今までの基準や枠組みを破壊しながらも、どんどん不安になっていくのです。
そうすると、異論を受け入れることも難しくなっていきます。
不安が原因で、より独断的で、より暴力的になっていくのです。
過去と向き合うべき
過去を軽んじてはいけません。
過去を見ることは、今までの英知を知ることを意味します。
決して後ろ向きな志向ではなく、むしろ前向きな未来志向なのです。
今までの人類が作り上げてきた思想体系や政治基盤を、主権者である大衆の一時的な思想の偏りによって変えてしまっていいのでしょうか?
オルテガはこれを否定します。
過去に人々が紡ぎだしてきた社会システムには、人間の理性を超えた素晴らしい可能性があります。
一人ひとりがはっきりとした意見を持たない大衆が、突然現れたカリスマの扇動によって流され、多数決によってそれが社会的な正しさになることを、否定したのです。
保守と革新の間
オルテガは保守と革新の間を目指します。
保守に偏りすぎると復興思想のようになってしまいますが、昔に戻れば世界は良くなるかと言われれば、それは違うはずです。
過去にも問題点はいくつもありましたし、完璧な状態ではありません。
一方革新に偏りすぎるのも、独裁者を呼び込む可能性があるので、危険です。
革新は今まで作り上げてきた思想体系を一度破壊してしまうので、今までの努力を全て水の泡にしてしまう可能性があるのです。
だからこそ、オルテガは永遠の微調整を目指します。
大きく変えるのではなく、でも過去を維持するわけでもなく、ひたすらに変化させていくことを目指したのです。
オルテガ「大衆の反逆」まとめ
オルテガは高度大衆化社会への警鐘を鳴らしました。
社会の大多数である大衆が権力を持つことは、素晴らしいことでもありながら、危険性を伴うことでもあります。
一人ひとりの人間が自覚を持って行動することが大切なのかもしれません。
以下記事のまとめです。
- オルテガとは、スペインの哲学者である
- 社会の近代化が生み出した大衆とは、個性を失い、周りに同調することに快感を覚える人間である
- リベラルとは、礼節を持って相手の意見を受け入れること
- 過去と向き合い、保守と革新の間、永遠の微調整を目指す
ぜひ参考にしてみてください。
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