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デカルト「省察」を分かりやすく解説:「我思う、故に我あり」とは

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17世紀の世界はスコラ哲学が支配する世界でした。

神への信仰によってのみ真理に到達できる、と誰もが考えていた時代です。

そんな時代背景において、理性的かつ合理的な思想を持って新たな地平を切り拓いた人物がデカルトです。

彼は近代哲学や近代科学の発展に大きく貢献したことで有名です。

「我思う、故に我あり」という言葉を聞いたことがある人は多いはずです。

この記事では、そんなデカルトの著書「省察」について解説していきます。

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デカルトとは

Wikipedia参照

ルネ・デカルト(1596~1650)とはフランスの哲学者、数学者です。

理性を用いてあらゆるものを懐疑する合理主義哲学の潮流を生み出した人物であり、近代哲学の祖でもあります。

彼の主な著書には、「省察」「方法序説」「人間論」「情念論」などがあります。

デカルトはフランスのラ・エーにて生まれます。(現在はデカルトという町名に変更)

彼はイエズス会の運営する学校にて優れた教育を受けます。

そこでは専らスコラ哲学を学び、特に論理学、形而上学、自然科学などを学んでいました。

その後はポアティエ大学にて法学を学び、22歳のときには軍事系の職に就きつつ、ヨーロッパを遍歴しました。

そんなある日、デカルトに転機が訪れます。

寝ている間に、哲学的かつ神秘的な夢を見たのです。

その夢に触発された彼は、それ以降、あらゆるものを含めたすべての統一を目指す哲学を目指し、研究を始めます。

以降、方法論や哲学、また自然科学などの内容の書籍を次々に出版します。

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デカルト「省察」の解説

「省察」(1641)はデカルトによって書かれた哲学書です。

一人称で書かれたこの書籍は、哲学書にしては珍しく一般人向けであり、大変読みやすい作品となっています。

本書のポイントは以下の3つです。

  • 方法的懐疑
  • 心身二元論
  • 神の存在証明

以降詳しく見ていきます。

方法的懐疑

方法的懐疑は、デカルトを語る上では必須でしょう。

これこそが、彼の革新的な哲学の出発点だからです。

「省察」では、第一省察と第二省察を通して方法的懐疑についてが解説されています。

方法的懐疑とは、確実なものに到達するまでに行われる、手段としての懐疑を指す

デカルトは人間の感覚(主に五感)を通して得られる情報は全て疑うことができる、と考えていました。

確かに、我々はよく計算間違いはしますし、トリックアートとかには騙されますよね。

そして留意したいのは、当時の自然科学もまた、人間の感覚器官を通した観察から成り立っていた、ということです。

彼は人間が観測した情報から構成される学問は、全て信頼に値しない、と考えます。

「我思う、故に我あり」

彼は本当に確実なものだけをあぶり出すために、方法的懐疑を通して、疑わしいものを全て排除していきます。

例えば、人間が行った数学的判断は懐疑に対象になります。

人間が行うことに完璧はないので、どこかのタイミングで計算ミスをしているかもしれないからです。

また、人間が観測した結果に得られた情報も懐疑の対象になります。

人間の感覚器はよく間違った情報を取得してしまうからです。

そしてデカルトがたどり着いた結論が、人間の知識は確実でなくても、今ここで考えている自分だけは確実である、というものです。

これが「我思う、故に我あり」(コギト・エルゴ・スム cogito ergo sum)という言葉に繋がるのです。

人間の判断は間違っていることが多いです。

でも、今この瞬間に意識を持って考えていること、それだけは疑いようがないのです。

彼はこの確実な情報を元に、あらゆることを考察していきます。

心身二元論

デカルトは心身二元論という立場をとります。

心身二元論とは、心と身体という異なる独立した2つの実体が存在することを主張する論を指す

彼は、精神だけの自分を想像できるのに対して、肉体だけで精神を持たない自分は想像できない、という理由から、心身二元論を主張します。

つまり、人間は精神が本質であり、肉体はあくまでも付随的な存在だということです。

デカルトは、方法的懐疑を通して人間の精神は確実に存在していることを証明します。

そして、そこから全ての知的根拠を改めて構築していきます。

まず、人間の意志とは関係なく影響をもたらすように、音やにおいなどは、全て精神の外側に存在している、と言えます。

これは、人間の外部に物質的な存在があることの証明になります。

デカルトはここから、全ての事物を主観と客観に分けて観測していきます

宗教と科学の分離

人間の本質を精神ととらえ、肉体と精神を分離したデカルトは、哲学の歴史の中でも非常に大きな役割を果たしたと言えます。

この心身二元論の考え方は、観察者と観察される者主観と客観、という2つを明確に区別できるようになったからです。

これらの思想は、人類に化学発展の新たな可能性を提示し、事実そこから近代科学は大きな発展を遂げます。

デカルトの生きた17世紀は、スコラ哲学の見解が多数を占めていました。

神への信仰のみが真理への到達を可能にする、という考え方です。

デカルトはこれを徹底的に否定します。

この世界には、誰もが受け入れざるを得ない確実な原理が存在しており、それを用いれば普遍的な共通認識を得ることはできます。

誰であっても、理性を働かせることで、人種や宗教を超えて、共通理解を獲得できる、という彼の主張は、非常にユニークなものでした。

デカルトの哲学の樹

デカルトの思想は樹に例えることができます。

デカルトの哲学の全体像は、形而上学的な根から始まります。

幼少期から受けたスコラ哲学的な認識が、彼の思想の根底にはあります。

そして枝葉には自然科学などが存在しています。

合理主義的な彼の思想は、最終的に自然科学の正当性へと繋がるのです。

そして、彼の哲学の革新的な部分は、宗教と科学、精神と肉体、これらを分離したことにあります。

デカルトが分離したもの
  • 宗教と科学
  • 精神と肉体
  • 形而上学と自然科学

これらの関係性を明確化することにより、近代的な科学は大きく発展していくのです。

神の存在証明

「省察」のもう一つの目的は、神の存在を証明することです。

非常に合理的な思想を持つデカルトですが、神の存在は信じていました。

学者のなかには、神の存在を証明しようとする行為はデカルトの評価を下げている、と主張する人もいますが、決してそんなことはありません。

あくまで神の存在を合理的に証明できるか?ということにフォーカスすれば、そこまで問題ではないように思えます。

また、当時の時代背景と彼の育った環境を考えると、神の存在を信じるのは当たり前にも思えます。

デカルトの神の存在証明は以下のようになっています。

デカルト「神の存在証明」(Wikipedia参照)
  1. – 意識の中における神の観念の無限な表現的実在性(観念の表現する実在性)は、対応する形相的実在性(現実的実在性)を必然的に導く。我々の知は常に有限であって間違いを犯すが、この「有限」であるということを知るためには、まさに「無限」の観念があらかじめ与えられていなければならない。(第一証明)
  2. – 継続して存在するためには、その存在を保持する力が必要であり、それは神をおいて他にない。(第二証明)
  3. – 完全な神の観念は、そのうちに存在を含む。(第三証明)

神の存在証明の解釈

上記の証明を簡単に要約すると、以下のようになります。

人間は不完全な存在であり、完全なものを生み出すことはできないです。

しかし、我々は完全性という概念を保持しています。

つまり、人間が生まれる前に何か完全な存在がいて、我々を創造すると共に、完全性という観念を植え付けた、という推論ができます。

よって、神は存在するべき、だとデカルトは考えたのです。

彼は、合理的に考えても神への不信仰は間違っている、と強く主張しました。

デカルトは、神は万能であり善意に溢れた存在である、としています。

そして、人間が真理に到達することを待っており、その過程として懐疑を必要としている、と考えます。

人間は自ら考え行動し、答えを導き出す存在であるべきだ、と確信していたのです。

彼はその過程で、自然科学と形而上学の分離も推し進めていったのです。

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まとめ

デカルトは「省察」にて、この世界において唯一確実なことは、考えている自分が存在することである、と主張しました。

彼の革新的な発見「我思う、故に我あり」は、近代科学の発展に大きく貢献します。

ぜひ参考にしてみてください。 

  • デカルトはフランスの哲学者・数学者である
  • デカルト「省察」のポイントは、方法的懐疑、心身二元論、神の存在証明の3つ
  • デカルトの革新的な発見である「我思う、故に我あり」は、近代科学の発展に大きく寄与した

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