人類は過去に数え切れないほどの戦争を繰り返してきました。
世界では今も絶えることなく戦争が起こっています。
なぜ、誰もが望んでいるはずの平和な世界は実現することが困難なのでしょうか?
イマヌエル・カントは「永遠平和のために」という著書を通して、彼なりの答えを出しました。
この記事では、そんなカント「永遠平和のために」について解説していきます。
カントとは
イマヌエル・カント(1724-1804)はプロイセン王国(ドイツ)の哲学者です。
18世紀を代表するヨーロッパの哲学者であり、主な著書には「純粋理性批判」「実践理性批判」「永遠平和のために」などがあります。
彼の哲学は後の西洋思想界に多大なる影響をもたらしました。
彼の著書である「純粋理性批判」については、こちらの記事で詳しく解説しています。
カント「永遠平和のために」の解説
「永遠平和のために」はカントが、どうすれば永遠の平和状態を達成することができるのか、を説いた作品です。
人類は何千年も前から長きにわたり戦争を続けてきました。
平和な世界を望みつつも、その願いを叶えることなく、いつの時代も争っているのです。
特に18世紀ヨーロッパは、絶対王政的な政治が続き、植民地化に伴う争いや隣国との戦争、さらには国家内での内戦などが勃発していました。
争いが耐えることのない時代を生きたカントの、平和に対する主張とはどのようなものなのでしょうか?
永遠平和の条件
先に結論をお伝えしましょう。
カントが考える、永遠平和を達成するために必要な条件は以下の6つとなります。
- 戦争原因の排除
- 国家を物件とすることの禁止
- 常備軍の廃止
- 軍事国債の禁止
- 内政干渉の禁止
- 卑劣な敵対行為の禁止
これだけ見ると、カントは理想的な平和の在り方を語っているだけなのではないか?と思われるかもしれません。
事実、カントは理想主義者として非難されることもあります。
しかし、そんな彼の主張の裏には緻密なロジック構造が隠されています。
以降、彼の意見について詳しく解説していきます。
人間は元来”邪悪”である
カントが永遠平和を語る上で、まず前提としているのが、人間は邪悪であるということです。
人間は元来”邪悪”である
人間が邪悪である、とは以下のようなことを指します。
- 自分の利益ばかりを追求する
- 放っておいたら争いを始める
- 人のことは考えない
つまり、争うことは人間の本来の性質であり、戦争は人間の本性であるということです。
特別な理由なんかなくとも、放っておいたら戦争は始まるのです。
この思想はルソーの「社会契約論」に準じています。
人類は自分の利益だけを考えており、常に闘争状態です。
だからこそ、平和を作るために契約(社会契約)を結ぶのです。
国家ができた理由は、人間がもともと自己利益を追求する存在だからである、と社会契約説では主張します。
人間の本性を活用する
人類にとっては、戦争状態が通常であり、平和状態は奇跡であることが分かります。
つまり、平和状態は自然に達成できるのではなく、努力をすることによって新たに創出する必要があるのです。
そしてカントは、この平和状態を作り出すには、人間の本性(自然的傾向)に裏打ちされていなければならない、と考えます。
道徳や理性によって平和を達成しよう!ときれいごとを言うことは簡単です。
しかし、その目標を達成することは非常に困難です。
なぜなら人間の本性(自然的傾向)が邪悪だからです。
自分だけが利他的に行動したところで、それは搾取されるだけ終わってしまいます。
つまり、人間の本性に従ったことを継続していたら、勝手に平和を達成していました!という構図が理想なわけです。
人間の本性は邪悪ですが、理性によってその傾向を活用することができれば、平和は達成できます。
人間の本性に従ったシステムを構築してあげれば、人間は戦争を辞める方向に動き出すのです。
戦争は損である
人間の本性はとても利己的であり、自分の利益だけを常に考えています。
カントはこれを国家にも当てはめます。
人間の集まりである国家もまた利己的であり、自国の利益しか考えていない、と考えたのです。
この前提の上で、どうすれば国家間での争いがなくなるかを考えてみましょう。
国家はみな利己的です。
だったら、”戦争をすることが損である”ということを皆が理解すればいいのです。
国家の本性は利益を追求しているので、損害を被ることはしたくないはずです。
この国家の本性という視点から物事を見ていくと、以下のような思想に至ることがでいきます。
- 他国から奪うよりも、友好関係を築く方が多くの利益がもらえる
- 戦争をすることは、物質的・金銭的に損である
- 植民地を維持することにはコストがかかる
行政権と立法権の独立
思想的に正しくても、それを実現できなければ意味がありません。
重要なのはこの思想的な理想状態(国家が自国の利益だけを追求していたら平和になっていた)を達成しうる法制度・国家環境を作り出すことです。
戦争ではない方法で問題を解決することが、それぞれにとって得になるような環境を整備するにはどうすればいいのでしょうか?
人間には利己心を満たす際に2つのベクトルがあると、カントは語ります。
- 短期的 ー 暴力(剥奪)
- 長期的 ー 非暴力(法律・商業活動)
戦争を避けるためには、長期的なベクトルで利己心を満たす必要があるのです。
カントがこの環境を作り出す方法として導き出した答えが、行政権と立法権の独立です。
人間の本性ではどうしても、短期的に得られるメリットを求めてしまいます。
だからこそ、やりたいように人間ができないようにすればいいのです。
つまり、ルールを作る人(立法権)とルールの下で行動する人(行政権)を分ければいいのです。
立法権と行政権を分けることは、国家の暴走を防ぐ有効な手段となり得ます。
日本とドイツ
日本とドイツはそれぞれ立法権と行政権が合体してしまったがゆえに、暴走してしまいます。
日本は元々、天皇中心の立憲君主制の国家でした。
立法権と行政権はしっかりと独立していたのです。
しかし、1938年に国家総動員法が制定されてから、政府(行政)と議会(律法)は一体化しました。
人的物的資源は全て国家の承認なしに回収できるようになったのです。
ドイツも本来は行政権と立法権が独立していました。
しかし、ナチスのヒトラー出現により、その境界線があやふやになり始めました。
そして1933年に全権委任法が制定され、政府は国会の承認が必要なくなります。
立法権と行政権の分離は、国家の暴走を食い止める役割を果たします。
上記の両国はこの分離が崩壊したため、戦争状態に突入してしまいます。
この独立が崩壊し、融合し始めたら、戦争になるのは時間の問題でしょう。
平和連合
第一次世界大戦がきっかけで作られた国際連盟、第二次世界大戦がきっかけで作られた国際連合、これらはカントの永遠平和の考え方を基盤として構築された組織です。
カントは”国際的な平和連合”こそが、世界の平和を達成するために必要な条件であると考えたのです。
カントは国家を1人の人間として捉えます。
つまり、国家の本性の働きを放置しておくと、自然状態で戦争状態が達成されてしまうのです。
それを阻止するために、国家間でルールとシステムが必要になるのです。
そのルールとシステムを役割する役割を果たすのが平和連合です。
世界国家の危険性
国家同士では戦争状態になってしまう、なら世界を1つの国家にしてしまえばいい、という意見があります。
これを世界国家といいます。
一度整理しましょう。
世界国家 = 世界全体を1つの統一国家にすること、個々の国家が消滅
平和連合 = 各国家がそれぞれ政治主体となる、それぞれの国家は平等
世界国家は一見画期的なアイデアに見えますが、大きな危険性もはらんでいます。
例えば、言語や思想などは統一されていきます。
たくさんあると不便なので、マイノリティは消滅していくのです。
また、各国が保有する素晴らしい文化なども全て消滅していきます。
国家として統制をとるうえで必要のないものは排除されていくのです。
積極的な理念は争いを生み出す
国家間の関係性を管理する方法で”世界国家”と”平和連合”の2つがあることを紹介しました。
この2つは、理念という観点からも大別することができます。
世界国家 = 積極的な理念
→正しい目的を達成するためには何をしても許される
平和連合 = 消極的な理念
→みんなが折り合えるようなやり方で達成できる目的を定める
理念の観点からも、世界国家は大きな危険性を持っていることが分かります。
積極的な理念を持つ場合、その目的を達成するためには何をしても許される、というスタンスをとります。
これは全体主義的な思想に非常に近く、実際にナチスドイツが掲げていた理念を重なります。
積極的な理念は、目的が手段を正当化してしまう性質を持っているので、何をやっても良くなってしまいます。
世界国家からの独立を認めずに、怪しい勢力は力でつぶす、ような状態になってしまえば、世界国家が絶えざる戦争を生み出してしまうかもしれないのです。
事実、積極的な理念を持って理想国家や第三帝国を目指したナチスは、大虐殺を起こしました。
カントは平和連合を通して、消極的な理念を達成することを目指すべきだと主張します。
穏やかな手段を探し、大枠の永遠平和というゴールを見ながらも、具体的な目的はしっかりと定めない姿勢が大事だと考えたのです。
公法の状態
国家と国家の間のルールやシステムを構築・運営するのが平和連合の役割です。
そして、ルール(法律)もまた公平で倫理的・道徳的に正しくある必要があります。
カントも著書の半分を”道徳と政治の一致”という項目に割いていることから、これがいかに重要視されていたかがわかります。
公法の状態とは、全ての国家が道徳に遵守した法律に従っている状態を指します。
公法の状態とは、あらゆる国家が道徳に遵守した共通の法律に従っている状態である
法律 ー 誰にでも例外なく公平であること
道徳 ー 誰がどんな場合でも無条件に従うべきもの
カントの言う永遠平和の状態とは、公法の状態が実現していることを指します。
道徳の内容ではなく形式
カントの定義する道徳は一般的なものとは少し違います。
道徳を内容ではなく、その形式で考えるべきだと主張するのです。
形式とは、誰もがおこなってもいいと思えることをどんな場合でも行わなくてはならない、ことを指します。
道徳の内容にばかり気を取られてしまうと、主観的な道徳になってしまう可能性があるのです。
カントは次のように表現します。
汝の主観的な原則が普遍的な法則となることを求める意志にしたがって行動せよ
カント「永遠平和のために」
上記のフレーズを分解してみましょう。
普遍的な法則 = 誰もが行うべきだと考えられること
主観的な原則 = 私がやろうとしていること
つまり、道徳を主観的に判断するのではなく、そこに公平性を確保しましょう、ということです。
主観的な道徳は時として間違った決断を下します。
それが万人に共通の普遍的な道徳観であるか、ということを常に考える必要があるのです。
法律の公平性は道徳を形式的に考えるところから導き出されるのです。
公開性
法律は公平性に加え、公開性を保持している必要があります。
公開性とは、その法律が全ての人の眼差しに耐えうるものであることを指します。
公開性とは、すべての人の眼差しに耐えうることを指す
公開性は公平性を保つためには必要不可欠な要素です。
法律がブラックボックス化しなければならない場合は、何かしらの問題を隠している場合があるからです。
誰から見られても問題がない法律を作り出すことが、公平性を生み出すのです。
国家間の法律は、それを強制する機関がありません。
そんな法律を強制する機関がない中で、各国には法律を守ってもらうことが重要です。
そのためには法律を各国が尊重しなければいけません。
そしてそれを達成するためには、法律は平等なものでなければいけないのです。
努力目標としての永遠平和
永遠平和を実現することは非常に難しいです。
人間の本性に則した平和連合や律法を作り上げていくことには、途方もない時間がかかります。
しかし、ゴールはどんなに遠くても、その方向性だけは明確に定めることができます。
永遠平和は努力目標です。
人間の欲望や利己の精神を活用して、上手に世界平和を実現する、という努力目標なのです。
継続的な努力の先には、誰もが平等に幸福に生きられる世界があると、カントは考えたのです。
カント「永遠平和のために」まとめ
カントは「永遠平和のために」を通して、どうすれば戦争のない世界の平和を構築することができるのか、について考察しました。
人間の本性を上手にコントロールできるルールとシステムを構築することで、自然と平和状態に導く、という思想は、現代世界にも大きな影響をもたらしています。
ぜひ参考にしてみてください😆
以下記事のまとめです。
- カントとは、18世紀ドイツの哲学者である
- 人間は元来”邪悪”であるという前提に基づいて、人間の本性を上手に活用できるルール・システムを構築することが重要
- 平和連合こそが永遠平和のための手段であり、世界国家は全体主義に傾倒する危険性がある
- 永遠平和のためには、公法の状態を目指すべきであり、そのためには道徳を内容ではなく形式を考えることや、公開性で公平性を担保することが重要
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