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ハイデガー「存在と時間」を簡単に分かりやすく要約・解説

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日本でも人気のある、実存主義の哲学者ハイデガー。

彼の力強い人間の可能性への情熱は、多くの読者の心を動かしてきました。

しかし、彼の文体は非常に読みづらく、たくさんの人が彼の本を読み切ることなく挫折したことも事実でしょう。

この記事では、そんなハイデガーの著書「存在と時間」を分かりやすく解説していきます。

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ハイデガーとは

Wikipedia参照

マルティン・ハイデガーはドイツの哲学者です。

ドイツ観念論や実存主義、古代ギリシア哲学などの影響を受け、独自の存在論哲学を形成したことで知られています。

彼の主な著書には、「存在と時間」「形而上学入門」「存在への問いへ」などがあります。

ハイデガーは1889年に南西ドイツの小さな町で生まれます。

14歳で司祭になるため神学校に入学するも、文学や哲学の勉強をしたいという理由で去ります。

18歳の時に「アリストテレスによる存在者の多様な意味について」を読み、それがきっかえでフッサールの論文を読むようになります。

20代になると、カトリック系刊行物に論文を掲載するようになり、1913年に哲学博士号を取得します。

1918年にフライブルク大学の私講師になると、フッサールの助手に採用され、1928年には同大学の教授となります。

また、ハイデガーはドイツ民族主義者だったこともあり、ナチスの指導を支援していたことでも知られています。

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ハイデガー「存在と時間」の解説

「存在と時間」(1927)はハイデガーによって書かれた哲学書です。

科学捜査のような緻密な分析を通して書かれた本書は、非常に難解であることで知られています。

ただ、その難解さを持ってしながらも現代哲学者に多くの影響を与え、ハイデガーは20世紀最大の哲学者と呼ばれるようになります。

ちなみに、本書はハイデガーがフライブルク大学の哲学教授の職を得るために書いた本とされています。

以降、詳しい内容を解説してきます。

存在とは

人類史において多くの哲学者が挑んできた難問が、「存在とは何なのか?」です。

全ての物事は抽象化を重ねることによって上位カテゴリーに分類していくことができます。

しかし、存在という概念まで到達すると、それ以上の推察ができなくなってしまいます。

犬は哺乳類であり、哺乳類は動物であり、動物は生物であり、生物は存在であり、存在は…?、となってしまうのです。

この、物事が存在するという摩訶不思議な現象を解明しようとしたのがハイデガーです。

彼は、この存在についてしっかりと研究できたものは、過去に誰一人もいないと言っています。

現存在

この世界には、その物事が存在する理由や目的、つまり本質が不明なものと、明確な目的を所有して存在しているもの、の2種類があります。

ハイデガーはそれぞれを、「存在」「存在者」と名付けます。

存在とは、それが何であるかを答えることができないもの、それがある理由(本質)が分からないもの

存在者とは、それが何であり、何のためにあるのか(本質)を説明できるもの

例えば、我々がリンゴを見た際は、「これは食べるものだ!」と直感的に感じます。

つまり、リンゴは人間に食べられるものという本質を保持しており、それが何であるかを特定できる「存在者」なわけです。

一方、人間自身を考えると、「この人は〇〇のために、私は〇〇のために存在している!」と理解することは難しいです。

つまり、人間は明確な本質を所有していないもの、「存在」なのです。

しかし、人間は特殊であり、自分で「自分がどんな存在か」を考えることができます。

ハイデガーは人間などの、内省的な意識を持つものを、「現存在(dasein)」と表現します。

現存在とは、内省的な意識を持つ存在を指し、主に人間がこれに当てはまる

人間はそれぞれ、個別の現実に直面しており、同じ存在は一つもありません。

この「自分だけの現実」という要素を強く含めて、ハイデガーは「現存在」という言葉を生み出します。

現成化

この世界の「存在」の本質はどのように決まるのでしょうか?

つまり、「これは何であり、何の目的で存在しているのか」を決めるには、どのような工程を経る必要があるのでしょうか?

ハイデガーは「現成化」という言葉を用いて、この現象を説明します。

結論から申し上げると、物事が何であるかは、人間(現存在)の目的によって決まります

我々が無意識的に、「これは〇〇のために存在する」と考えることによって、対象の存在理由や目的(本質)が決定されるのです。

つまり、物事の本質は人間の思考によった左右されます。

そして、人間が自らの目的に応じて存在を意味付けしていくことを、「現成化」と呼びます。

現成化とは、人間の目的によって事物の存在の目的(本質)を決定することを指す

例えば、スマホは友達に連絡したり、分からないことをネットで検索するためのものです。

よって、スマホが何であるか(本質)は、我々の生活を便利にするもの、と言うことができます。

しかし、100年前の人にスマホを渡しても、それが何であるかは理解することができないでしょう。

もしかしたら、紙が飛ばないようにする置物として利用するかもしれません。

そうすると、彼らからすると、スマホが何であるかは、紙が飛んでかないようにするためのもの、となるのです。

この世界の存在者の持つ本質は、それを発見する人間の意味付けによって大きく変化します。

被投性

人間は突如としてこの世界に投げ込まれ、自分の意志とは関係なくある特定の場所と時間に直面します。

その中で我々は、この空間と時間に投げ込まれた理由を理解しようと考えます。

このように、人間がこの世界に投げ込まれた状態のことを、被投性と呼びます。

被投性とは、人間が世界に投げ込まれたという性質を指す

この世に存在する物事の多くは、何かしらの目的・理由を保持しています。

はさみは切るために存在しているし、鏡は何かを映すために存在しています。

しかし、人間は何のために存在しているかが分かりません。

多くの人は自分という人間が何者で何なのかが分からず、困惑し悩みます。

ハイデガーは、言葉と行為の力を使い、人生の意味を見出すことこそが、この難問を解決するための唯一の方法だと考えます。

人間は、世界に対して言葉や行動を用いて自らを現すことによって、存在する意味を見出します。

つまり、繰り返し自分という人間がどんな存在なのかを自問自答して、自己本来の姿を認識していくことが、我々現存在の本質である、ということです。

ハイデガーは、人生の目的とは、我々が存在する世界において、自分自身の可能性を探究することである、としています。

本来性

本来の人間の自己とは、意識を持って自分の存在の意味を追求していくものです。

「自分がここで生きる意味は何か?」「自分とは何者なのか?」これらを考え続けるということです。

このような性質を、本来性と呼びます。

本来性とは、意識的に自分の存在の意味を探究し続けることを指す

しかし、多くの人は自分の人生の意味など考えず、周りに流されたり、知らない人間に支配されたりしています。

ハイデガーの言葉を借りるなら、非本来性を保持し、非本来的な生き方をしている人たちです。

非本来的な生き方はお気楽で快適かもしれませんが、なりたい自分になることもできないでしょう。

本来性を取り戻すことは、自らが自分という存在の主人となり、自らの本質を決定づけていく自由を勝ち取ることを意味します。

ハイデガーは、世間一般から離れてでも自分という存在と向き合い、人生を一生懸命に生きることこそが、本来あるべき人生に対する態度だと主張します。

時間とは

我々は普段、「過去・現在・未来」という枠組みで時間を考えます。

ハイデガーは、これらと同じ要領で「既在・現成化・将来」という呼び方をします。

過去 = 既在

現在 = 現成化

未来 = 将来

既在は、個人の想いや意味付けによって引き受けた特定の過去を指します。

いわゆる一般的な歴史ではなく、その人の目的によって意味付けられた、その人だけの過去です。

現成化は先ほど解説した通りで、現時点で存在するものを人間の目的によって意味付けし、それらが積み重なって構成される現世界です。

将来は、現成化を発生させる原因である人間の目的を生み出すものです。

つまり、「私は将来、こんな人間になる!」「私は〇〇な存在だ!」という将来への意味付けが、現在での現成化を促すのです。

ハイデガーは、プロジェクト(投企)という言葉を用いて、人間は将来に向けてプロジェクトする存在である、と言います。

プロジェクトとは、pro(前に)ject(投げ入れる)より、未来に向かって投げ込むという意味合いを持つ

以上のことを踏まえると、人間とは、既在を土台に将来に向かって自らをプロジェクト(投企)し、それらが生み出す目的によって現在に存在するあらゆるものが意味付けされ、現成化されていくということです。

ハイデガーは、これを端的に「既在しつつ、現成化させる将来」と表現します。

生きるということ

現代社会を生きていると、不意に大きな不安に襲われることがあります。

  • 私は今何をしているのだろう?
  • 私の生きる意味はなんなのだろうか?
  • なりたい自分になれているだろうか?

このような不安感情は、あなたの世界の居心地の悪さが原因で発生しています。

つまり、本来性を失った生き方をしているから、世界に対する意味付けが良くない方向へ向かっている、ということです。

本来性を持った生き方とは、孤立感を受け止め、抱えながらも、未来に向かって突き進む生き方を指します。

そして、不安を感じるということは、本性的に「自分は将来に向けて自らをプロジェクト(投企)することによって、自由に世界を創ることができる」ということを感じている証拠となります。

不安を引き受け、自分の心の声をしっかりと聞き、良心に耳を傾けることで、あなたがどうするべきかが見えてきます。

そして、大衆に流されるのではなく、自ら主体的に未来を切り拓いていくという決断をしましょう。

将来に自らをプロジェクト(投企)すると決断した瞬間から、人生の目的は定まり、過去は形を変え、新たな現成化が始まるのです。

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ハイデガー「存在と時間」まとめ

ハイデガー「存在と時間」は非常に難解で、読み解くことも簡単ではありません。

しかし、そんな本書を貫くのは、彼の”人間という存在に対する熱い想い”なのです。

多くの人が忘れてしまいがちな、我々人間は「可能性の中を生きる存在」であることを思い出させてくれるこの本は、素晴らしい本です。

ぜひ参考にしてみてください。

  • ハイデガーは、ドイツの哲学者である。
  • 人間はこの世界に突然投げ込まれたから、自分が何者か、何のために生きているのか、が分からない。
  • 人間は、既在しつつ、将来へ自らをプロジェクト(投企)することによって、事物の現成化を促す。
  • 人間は本来的に、自らが存在する理由・目的を探究し、一般大衆に流されてはいけない。

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