なぜ国家は全体主義に傾倒してしまうのでしょうか?
なぜ時として社会主義は求められるのでしょうか?
ハヴェルは、チェコスロヴァキアの民主化革命に多大なる貢献をし、最終的には大統領に就任した人物です。
この記事では、そんなハヴェルの著書「力なき者たちの力」について解説していきます。
ハヴェルとは
ヴァ―ツラフ・ハヴェル(1936-2011)とは、チェコの劇作家、大統領です。
人権擁護を主張する「憲章77」を起草したり、チェコスロヴァキアの民主化運動「ビロード革命」に大きな貢献をしたことで知られています。
反体制運動の指導者として生き、幾度も収監されながらも、最終的には革命を成功させ、自らが大統領となります。
ハヴェルは1936年にプラハの資産家の家庭に誕生しました。
元々通常の大学学部に進もうと考えていたハヴェルですが、チェコスロヴァキアが社会主義国になってしまったが故に、工科大学に進むことになります。
また、彼は劇作家として生計を立てていたのですが、1970年には政府の政策により全作品が公開中止となります。
文化活動が制限され、演劇を始め、文学、音楽、芸術、その他数多くの活動が行えなくなってしまったのです。
民族の精神を犠牲にすることは絶対に間違っている、と考えるハヴェルは、政府批判の活動を行い、公開書簡を発表したり、秘密裏に本を出版したりします。
そんな彼の懸命な活動は次第に多くの人の心に火をつけていくのでした。
1980年代には学生たちのデモをきっかけに、体制転換の動きが拡大していきます。
それが、チェコスロヴァキアの民主化に成功した、ビロード革命へと繋がるのです。
ハヴェル「力なき者の力」の解説
「力なき者たちの力」は社会主義体制下においてハヴェルが書いた本になります。
全体主義の構造や、そんな中で一般市民にできることはあるのか、これらが語られています。
ちなみに彼は、文学者としての才能も有しており、過去にオーストリア国家賞(1968年)エラスムス賞(1986年)ドイツ出版協会平和賞(1989年)フランツ・カフカ賞(2010年)を受賞しています。
チェコスロヴァキアの歴史
全体主義の構造を学ぶ前に、まずはチェコスロヴァキアの歴史についての知見を深めましょう。
事前に歴史観をつかんでおくことで、構造理解がはかどります。
プラハの春
「プラハの春」は1968年に起こりました。
社会主義体制を貫き、全体主義が主流であったチェコスロバキアでは、経済的な停滞感がありました。
それもそのはずで、国としてはまったく成長しておらず、むしろ衰退している状態なのにもかかわらず、それを政府は隠ぺいしていました。
そんな環境の中、自然と内側から改革の流れが生まれていったのです。
1968年にアレクサンデル・ドゥプチェクが第一書記に就任し、「人間の顔をした社会主義」というスローガンを掲げる改革が始まります。
検閲は全面的に撤廃、文化開放政策が進められていきました。
これらの民主化のための運動を「プラハの春」と呼びます。
しかし、ソビエト連邦を中心とした社会主義をうたう東欧諸国はこの革命を許すはずがありません。
民主化革命の流れが自国にまで及んだら厄介だからです。
なのでソ連中心のワルシャワ条約機構軍がプラハを占領します。
市民の努力もむなしく、革命は失敗に終わります。
結果的に1970年代は検閲・監視が横行することとなります。
憲章77
「プラハの春」の失敗の影響を大きなものでした。
多くの文化人は亡命し、市民は絶望感・無力感を覚えました。
そんな希望を持てないような時代において、ハヴェルは次なる活動に目を向けます。
彼は「プラハの春」自体を評価してはいましたが、全体主義を転覆させるまではいかなかったことを悔やみます。
そしてその反省から「憲章77」を創り出します。
「憲章77」とは、1977年に発表された、反体制運動とそれを象徴する文書です。
主な主張は、基本的人権を守ろう!ということです。
「憲章77」には以下のようなユニークなポイントがあります。
- 誰もが自由に参加脱退できる
- スポークスマンも毎年変更される
- 目標を達成したら解散しても良い
政府は「憲章77」を敵対勢力とみなし、反憲章キャンペーンを実施します。
しかし、あまり実体がなく、それでいて構造は開かれ、ダイナミックであった「憲章77」は、確実に人々の心に浸透していきました。
ビロード革命
1989年、ついにハヴェル率いる反政府勢力がチェコスロバキア共産党による全体主義体制を倒します。
この革命は負暴力的抗議を貫いたことから、軽く柔らかなビロードの記事に例えられ、ビロード革命と呼ばれます。
革命の指導者として人々を勇気づけてきたハヴェルは、推薦の結果チェコスロバキアの新たな大統領に就任します。
全体主義の構造
ここからは全体主義の構造について解説していきます。
全体主義は一見理想的な仕組みに見えるもの、その根底には大きな危険性を秘めているのです。
イデオロギー
全体主義の根幹を支えるのが「イデオロギー」です。
イデオロギーとは、 人間の行動を決定する根本的な思考体系を指す
決して政治的な主張や思想である必要はなく、ある意味では宗教団体の教義に近いものがあります。
イデオロギーが魅力的なのは、これを信じれば故郷・居場所が自動的に提供されるところです。
思考停止になって、盲目的にイデオロギーを信仰すれば、人々の行動の責任は全てイデオロギーが背負うこととなるのです。
つまり、イデオロギーを言い訳にすることができるようになるのです。
皆で1つの思想を信じて、同じ感情や思考を共有し、自分たちは一切責任を取ることなく、居場所が提供されるのです。
寄る辺るなさや疎外を感じ
世界の意味が喪失されている時代にあって、
このイデオロギーは、人々に催眠をかけるような
特殊な能力を必然的に持っている。さまよえる人々に対して、
ハヴェル「力なき者の力」
たやすく入手できる「故郷」を差し出す
ハヴェルは、イデオロギーを信じることで得られる「故郷」に支払う対価として以下の3つを挙げています。
- 理性(自分で考え判断すること)
- 良心(自分の心が訴えること)
- 責任(自分の行為に対する応答)
これらを捨てて、思考停止になることで、イデオロギーによる故郷を手にすることができます。
スローガン
「スローガン」は、イデオロギーを記号化したものとなります。
イデオロギーは大きな思想体系なので、その主張を圧縮して高濃度の記号を創り出すのです。
スローガンとは、イデオロギーを圧縮して記号化したものを指す
スローガンの具体例としては、以下のようなものがあります。
- 全世界の労働者よ、一つになれ
- 人間の顔をした社会主義
- 社会主義核心価値観
そして、全体主義政府はこのスローガンを町中に掲げます。
今後お店を営業していくためには、このスローガンを掲げなければいけません!という命令を出して、町中をスローガンで埋め尽くすのです。
町の風景に馴染んでくるこのスローガンは、段々と市民の心に染み付いていきます。
そして最終的には、その思想が主流となります。
市民の本心を隠すための記号としてのスローガンは、現実世界とイデオロギーを強く結び付け、人々を洗脳します。
さらに、みんながやっているから、という理由で多くの人はこの思想の流れに従って生きます。
お互いにお互いを洗脳しあっていくのです。
そんな状況の中で、私はこう思う!!と主張しても、白い目で見られるだけなのです。
オートマティズム
スローガンによって、人々は気付かないうちに思想を支配され、また支配する主体にもなっています。
大抵の場合、スローガンは多くの人を被害者にすると同時に、その装置の一部として取り込んでいくのです。
そして、そんなイデオロギーの意図を自ら汲んで、忖度したり空気を読んだりすること、つまり「オートマティズム」が生まれます。
オートマティズムとは、要求されている所作を自ら察して、盲目的に行うことを指す
オートマティズムに陥ると、人々はイデオロギーの奴隷となります。
秀逸なシステムの中で、多くの人がオートマティズムに陥るのです。
自分の価値判断や意思決定は全てイデオロギーに依存し、自ら主体的に思考することはなくなります。
完全にシステムの歯車の一部となってしまうのです。
さらにこれの怖いところは、特定の誰かに責任があるわけではなく、システム自体の欠陥が問題であるというところです。
嘘の生
全体主義の良くないところは、その根底に「嘘の生」があるところです。
イデオロギーは国民に見たいものを見せ、信じたい者を信じさせることで、みせかけの安定を社会に提供します。
例えば、国内の内在的な格差感や停滞感をスローガンが隠してくれます。
しかし、これらのシステムに従い、自らをイデオロギーに当てはめ、盲目的に生きることは「嘘の生」の状態であるとハヴェルは主張します。
嘘の生とは、全体主義に従い、自らをイデオロギーに当てはめ、盲目的に生きることを指す
全体主義の実体は、偽りだらけ、欺瞞に溢れています。
同調圧力によって言いたいことも言えず、良心や倫理感は失われていきます。
チェコスロバキアでは、経済の停滞をイデオロギーで隠していましたし、ドイツでは全体主義がさらに暴走し、ユダヤ人を虐殺しました。
「嘘の生」を生きていると、自らもこの事態に巻き込まれる危険性があります。
真実の生
この全体主義体制を打ち破るのに必要なのは、「真実の生」です。
真実の生とは、主体的に自分の心に従って生きることを指す
どんなに些細な出来事であっても、そこに「真実の生」の可能性が秘められています。
例えば、政府からスローガンを掲げることを指示されたときに、少しでも違和感を感じたのであれば、その心の反応を大切にして、スローガンを掲げるのを辞めましょう。
盲目的な信仰からの脱出は、意外と身近なところにひそんでいるのです。
何気ない行いに、尊厳や自由を手に入れるきっかけがあるのです。
並行構造(パラレル)
全体主義体制において、イデオロギーに反する行為は全て処罰の対象です。
好きな音楽を歌うこともできないし、好きな本を読んだり書いたりすることもできないし、好きな芸術を見ることもできません。
そして、人々は盲目的にそれを当たり前だと受け入れていきます。
しかし、そこには必ず違和感があるはずです。
オートマティズムに陥ったとしても、そこには心の違和感が少なからず残ります。
それを体現したのがチェコスロバキアの並行構造(パラレル)でした。
ハヴェルを筆頭に、体制に違和感を感じていた人々は、アンダーグラウンドに音楽を奏で、本を出版し、芸術作品を展示していました。
全体主義が目指すものは、統一や単一性です。
なぜなら統治支配しやすいからです。
一方、個人の幸福のために目指すべきものは、複数性や多様性です。
個人の表現の自由を保証し、それぞれの幸福を追求できるからです。
全体主義の中核にはイデオロギーという思想があります。
ならば、それに対抗するには別のイデオロギーを生み出すことが有効なのです。
ハヴェルの「真実の生」を求める思想は、並行構造(パラレル)の中でどんどん広まっていきました。
「真実の生」というと難しいですが、ようは好きなことを好きなように行う、ということです。
- 俳優は舞台がないので自宅で演劇を行います
- 哲学者は大学を追い出されるので自宅でセミナーやサロンを開催します
- 作家は地下で出版します(サミズダート)
- 音楽家は地下で演奏します
これらの活動を表のイデオロギー文化と並行して行っていきます。
自分の心に従って、やりたいことをする、そんな当たり前のことが全体主義体制には脅威になりうるのです。
力なき者の力
全体主義も思想の1つでしかありません。
その思想を信仰するのか否かは、常に我々一人ひとりの決断次第です。
どんなに強大な権力とシステムを持ってしても、結局世界の命運は1人の人間の心の作用に委ねられるのです。
全体主義的な、人々の思想や価値観を統一しようとする思想の天敵は、自分の軸を持って好きなように生きている人です。
自分が好きなことをして、自分は望む方向に進み、自らの倫理観・道徳観で行動する、そんな一見当たり前のようなことが、強大な悪に立ち向かう方策になりうるのです。
ハヴェルはそんな生き方を「真実の生」と称しました。
思想は伝染します。
主体的に「真実の生」を追い求めることは、革命の光となりうるのです。
全体主義のイデオロギーが拡がるのと同じく、自由で平等な思想もパラレルに拡大していきます。
自分で考え、自分の心に従って違和感を大切にし、しっかりと責任を持って行動することが、力なき者に力をもたらすのです。
ハヴェル「力なき者の力」まとめ
ハヴェルはチェコスロバキアの民主化革命の指導者として活躍した人物です。
全体主義はよくできた社会システムですが、打開策もあります。
それが、ハヴェルの言う「真実の生」なのです。
以下記事のまとめです。
- ハヴェルとは、チェコスロバキアの民主化革命の指導者
- 全体主義の構造は、中核にイデオロギーがあり、イデオロギーを記号として密度濃く抽出したのがスローガンである。全体主義下で人々はオートマティズムに陥る
- イデオロギーを盲目的に信じるのは「嘘の生」であり、主体的に責任を持って考え行動するのは「真実の生」
- 理性・良心・責任を持って生きる姿勢が、力なき者に力を与える
ぜひ参考にしてみてください。
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