この世界には不条理なことがたくさんあります。
自然災害に感染症、戦争に暴動など、挙げたらきりがありません。
カミュの「ペスト」では、そんな不条理をペストという感染症に例えて、物語が進んでいきます。
近代不条理哲学の代表者ともいえるカミュは、この本を通して何を伝えたかったのでしょうか?
この記事では、カミュ「ペスト」について解説していきます😆
カミュとは
アルベール・カミュ(1913-1960)とはフランスの小説家・哲学者です。
「異邦人」や「シーシュポスの神話」などで不条理の哲学を打ち立て、一躍有名になりました。
また史上二番目の若さでノーベル文学賞を受賞したことでも有名です。
順風満帆に見える彼の人生ですが、実際は不条理の連続でした。
1913年にアルジェリアで生まれたカミュは、父親を戦争で失い、家族には文字を読めるものが1人もいないという生活を営んでいました。
彼は青年期、アルジェリアの独立を目指す、アルジェリア独立派に所属して活動を続けます。
結果的にその活動があだとなり、新聞記者という仕事に就けたのにも関わらず、植民地総督府から国を追放されてしまいます。
フランスに渡ったカミュは、ナチスに対抗するレジスタンス機関紙「コンバ」の編集部に属することになります。
そこで「ペスト」の執筆を始めるのです。
1947年に出版された「ペスト」は戦争を乗り越えた人々から絶大な共感を得ます。
カミュ「ペスト」の解説
「ペスト」は、ナイジェリアの港町であるオランにてペストが発生し、その様子を語り手が詳細に記録する、という形式で物語が進んでいきます。
ペストは単純な流行病としてだけではなく、不条理の象徴としても描かれています。
不条理とは、非合理であり、常識に反している状態を指します。
- 戦争
- 感染症
- 自然災害
- 殺人
上記のようなものが不条理に当たります。
物語は、ベルナール・リウーという医者を中心に進みます。
ペストという圧倒的な不条理に、仲間と連帯しながらペストに立ち向かっていくリウーからは多くのことを学べます。
人間は元々追放状態にある
物語の始め、ペストが町に流行し始めたときに、最初に起こった事件は町の封鎖でした。
ペストが最初にもたらしたのは、市民の追放状態だったのです。
フランスの植民地であったアルジェリアは、人民の救助ではなく、町の封鎖と市民の隔離を行います。
ある日突然、日常生活が壊されて、追放状態になってしまう。
これはとても不条理で、かわいそうなことです。
しかし、全ての人間は生まれたときから皆が追放状態である、とカミュは主張します。
全ての人間は生まれたときから生きる目的や理由が与えられていません。
生まれてきたのにも関わらず、なぜ自分が生まれたのかが分からないのです。
- 椅子は誰かが座るために存在しています。
- 机は物を置くために存在しています。
- 手は物を掴むために存在しています。
では、人間はなんのために存在しているのでしょうか?
カミュはこれを、人間は生まれつき追放状態にある、と表現したのです。
目的もなく、ただこの世界に生み落とされてしまった、という考えです。
戦争という圧倒的な不条理を現実で経験したカミュにとっては、この思想に至るのは自然なことなのかもしれません。
抽象には抽象を
ペストという存在は目には見えません。
いつやってくるかも分からず、自分が感染しているかも分からない、非現実的なものです。
カミュはこのあまりにも現実離れしたペストを”抽象”と表現します。
ペストは世界の圧倒的な不条理の象徴です。
どうすれば、そんな不条理な”抽象”と戦えるのでしょうか?
カミュの答えは、”理念”という”抽象”でした。
あまりにも現実離れした不条理と戦うためには、こちらも理念という抽象的なものを持っていなければいけません。
世界の否定性と戦うためには、誠意や正義などの抽象的な理念が必要です。
そうでないと、人間は絶対に勝つことができません。
事実、ペストが発生してから数カ月たった後の市民は、周りの人間が死んでいったとしてもあまり感情の変化が生まれなくなります。
これは彼らが、圧倒的な不条理という”抽象”に絶望してしまい、記憶も想像力も失ってしまっているから発生する事態です。
絶望することは絶望そのものよりも悪であると、カミュは考えます。
だからこそ、不条理には誠意を持った理念を掲げて立ち向かうべきなのです。
理念ではなく現実を見る
不条理な抽象には理念を打ち立てて立ち向かうことが重要です。
しかし、理念だけを見ていれば良いわけではありません。
理念に偏りすぎると、現実が疎かになってしまいます。
その具体例が物語の中でも登場します。
キリスト教の神父であるパヌルーという人物が、教会で説教を行います。
「心正しい人は必ず救われる、ペストにかかることはない。
ペストは神の天罰である。それは自分たちの今までの行いが悪いからである。」
このように人々に教えるのでした。
医師であるリウーは、この考えを否定することはありません。
しかし、リウーまでもが全ての責任を神に任せてしまうと、医師という職業も必要なくなってしまいます。
死ぬべき人を延命する行為は、神の意志に背いているからです。
そう考えたリウーは、ひたすらに医師として仕事に徹します。
理念を定め、不条理に立ち向かうことを決めたのなら、あとは現実で行動を起こすのみです。
立派な理念だけ持っていても、それだけでは不条理には勝てないのです。
しっかりと現実を理解し、現実逃避することなく実直に行動に移すことが大切です。
心の中のペスト
ペストとは不条理の象徴です。
そして、この不条理は誰の心の中にも存在している、とカミュは言います。
一般的に外からやってくるとされる不条理ですが、自分の内側からも表現されることがあるのです。
「ペスト」の物語中に、タルーという旅行者が登場します。
彼は死刑制度の廃止論者でした。
どんなことがあっても人を殺すことは絶対に肯定されてはいけないと、考えていたのです。
そして彼は政治運動に参加して、自分の意見を世界に訴えます。
しかし、政治運動を続ける中で、彼は自分たちも殺人を肯定する側にまわっていたことに気付きます。
政治運動を通して、人を亡くしていたからです。
自分が人殺しをする側にまわっていたことを知り、タルーは死ぬほど恥ずかしい思いをし、世界に絶望します。
人間は気付かない内に、不条理に加担してることがあります。
多くの人は、内なる悪を見てみぬふりをします。
- 困っている人がいても助けない
- クラスでいじめがあっても止めない
あなたも、気付かないうちに不条理を生み出しているかもしれません。
反抗と連帯
カミュが「ペスト」を通して最も主張したいことは何でしょうか?
それはおそらく、”反抗から生まれる連帯”でしょう。
圧倒的な不条理に立ち向かうことで、人間は連帯を生み出します。
この連帯にこそ、人間の可能性があります。
人間は1人で不条理に立ち向かうことはできません。
大きな渦に巻き込まれていってしまうでしょう。
しかし、そんな不条理に反抗していく中で人間には連帯が生まれます。
共に戦っていくことで、より結束を強めていくのです。
他者との連帯があるからこそ、人間は不条理に立ち向かうことができるのです。
カミュは「反抗的人間」において次のような言葉を残しています。
反抗は、すべての人間の上に、最初の価値をきずきあげる共通の場である。
われ反抗す、ゆえにわれら在り
カミュ「反抗的人間」
不条理への反抗と連帯を通して、人間は輝きを取り戻すのです。
カミュ「ペスト」まとめ
カミュ「ペスト」は不条理小説として世界に名を馳せました。
不条理は誰の元へもやってきます。
大切なのは、どんな辛い時でも不条理に反抗することです。
反抗の先には連帯があり、そこに人間の可能性があります。
以下記事のまとめです。
- カミュとはフランスの哲学者・小説家である。
- 人間は元々追放状態にある
- 抽象には理念という抽象をぶつける
- 理念ではなく現実を見ることも大切
- 誰の心の中にも不条理は存在している
- 反抗と連帯が、不条理に立ち向かう方法である
ぜひ参考にしてください。
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