シェイクスピアの「ハムレット」という演劇は、4大悲劇の1つとして非常に有名な作品です。
デンマーク王子であるハムレットが王の暗殺を企てるなかでの葛藤は、多くの人の共感を呼びます。
この記事では、そんなシェイクスピア「ハムレット」について解説していきます😆
シェイクスピアとは
シェイクスピア(1564-1616)はイングランドの劇作家・詩人です。
生涯の内に約40作品もの演劇を作り、イギリスの演劇界に多大なる影響を与えました。
有名な作品には、「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「リア王」「ジュリアス・シーザー」などがあります。
シェイクスピアは1564年に手袋職人の家の息子として生まれます。
7歳でキングス・ニュー・カレッジのグラマースクールに入学し、18歳でアン・ハサウェイと結婚します。
そして、ここからの一時期間は、忽然と姿を消してしまいます。
1593年、シェイクスピアが29歳のときに、突然ロンドンで詩人としてデビューします。
彼の人気は凄まじく、1594年には宮廷大臣一座を結成し、彼は座付き作家・役者となります。
そこから彼は約40作品の演劇を生み出し、ルネサンス演劇を大いに盛り上げていくのです。
シェイクスピア「ハムレット」の解説

ハムレットの舞台は中世デンマークです。
主人公はデンマーク王子のハムレットで、父親の敵である、現国王のクローディアスを暗殺しようと目論んでいます。
しかし、なかなか一歩を踏み出すことができなく、ハムレットは悩み苦しみます。
「ハムレット」という作品は、そんなハムレットの葛藤を描いた作品となっています。
熱情と理性の間

ハムレットは熱情と理性にはさまれ、悩み続けます。
今すぐにでも行動に移して、王を暗殺したいという感情と、人殺しは何があっても正当化することはできない、今は耐え忍ぶべきであるという理性に、揺れ動いているのです。
この熱情と理性で揺れ動く人間像は、当時の時代背景を大きく反映させています。
ハムレットの舞台となる時代は、近代的自我が構成されたばかりの時代でした。
中世から近代への移り変わりに伴って、人間の思想も大きな転換期を迎えていたのです。
具体的には、中世以前の世界では、宗教が大きな力を持っていました。
人は神と悪魔の間にいる、と考えられ、神に従って生きていれば全ては上手くいくと考えられていました。
しかし、近代に入ると、「我思う、ゆえに我あり」という理性を重んじる風潮が生まれました。
デカルトが生み出した、自己の思想に頼って、神に頼ることはしない、という思想が広まったのです。
中世と近代の狭間が舞台の「ハムレット」において、主人公のハムレットはこの二項対立で悩み続けることとなります。
ハムレットは近代的な人間の先駆けだったわけです。
中世 → 近代
宗教 → 科学
熱情 → 理性
理性の現れ

シェイクスピアの劇中には、理性が表現されるシーンが何度もあります。
そこに熱情と理性のせめぎ合いが垣間見えるのです。
ハムレットの父親はある日亡霊となってハムレットの前に現れます。
そして次のように語り掛けます。
「王であった自分を殺したのは弟であり、現国王であるクローディアスである、彼を暗殺せよ」
ハムレットが熱情に支配されているのなら、次の日にはもうクローディアスを殺しに行くでしょう。
しかし、ハムレットの中にも理性があります。
この亡霊は本当に父親なのだろうか?言っていることは本当に正しいのだろうか?などと思考を巡らせ、すぐに行動を起こすのは控えるのでした。
ハムレットの理想
「ハムレット」の劇中には、3人のハムレットの分身が登場します。
彼らはそれぞれ、理性と熱情のバランスが違います。
ホレイシオ = 理性
レア―ティーズ = 熱情
フォーティンブラス = 理性 + 熱情
これらの中で、ハムレットが最も理想としているのがフォーティンブラスです。
彼は登場シーンこそ少ないものの、熱情を理性で抑え込み、適度に使うことで、圧倒的な成果を出していました。
気高い生き方

ハムレットは劇中で常に悩み続けます。
彼はなぜ悩むのか、それは彼が”気高い生き方”を目指したからです。
ハムレットの意思決定の基準は、その思想・行動が気高いか否かです。
彼は精神的に立派なものになりたい、という欲望があり、常に高みを目指しています。
劇中には、「神になりたい」というフレーズもあります。
To be or not to be
「ハムレット」の名台詞に”To be or not to be”というものがあります。
日本語では、”生きるべきか、死ぬべきか、それが問題である”という風に翻訳されます。
このセリフもまた、理性と熱情で悩むハムレットを表現しています。
To be = 非道な運命を耐え忍ぶ
not to be = 運命に立ち向かい、自らも命を落とす
そして、彼にとってこれが問題である理由は、この選択がそのまま”気高い生き方”に繋がるからです。
より良い人生とはなにか、より良い生き方とは何か、を探し続けるのがハムレットなのです。
心の目

シェイクスピアは”心の目”についての言及を何度もします。
心の目とは、真実を見ることができる目、のことです。
心の目とは、真実を見る目である
ハムレットにも”心の目”が言及されるシーンがあります。
ガートルード(ハムレットの母親)と話しているハムレットは、横に父親の亡霊を見ます。
しかし、ガートルードには元夫の亡霊の姿を見ることはできません。
ハムレットは激怒し、母親は父親を心で殺したんだ!と主張します。
しかし、母親は呆然とするしかありません。
本当に何も見えていないのです。
事実とは誰の目から見ても正しい、周知の情報のことを指します。
一方、真実とは、人によって見え方の変わる、非常に主観的な情報です。
「ハムレット」で言うのであれば、ガートルードにとっての真実とハムレットにとっての真実は違うわけです。
そして、人生の拠り所になる大切なものは真実の方です。
あなたにとっての真実を見つけ出し、それを追求することが気高き生き方なのではないか、とシェイクスピアは我々に投げかけているのです。
悟り

悩み続けるシェイクスピアですが、ある時それは悟りに変わります。
そのきっかけは本物の死の実感でした。
舟でイングランドに向かっていたハムレットは身代金目的の海賊に襲われ、本物の死を体験します。
死を実感したハムレットは徐々に考え方を変えていきます。
常に気高さを求めてきたハムレットでしたが、命には限りがあることを思い出したことで、死ぬまでにどう生きればいいか?という思考に切り替わったのでした。
今までは、偉大な生き方や神に近づくこと、に執着していたハムレットでしたが、死を実感することでその考え方を改めます。
死ぬまでにできることをやる、でも後のことは神に任せよう、という悟りに変わったのです。
神になるという大きすぎる夢は諦め、人間の自分にできることをする、という風にスイッチを切り替えたのでした。
let be
思考の変化はセリフにも現れています。
彼の発言の中に”let be”という部分があります。
これは、運命や神などのより大きな存在に自分の身を任せることを表わしています。
to be = 非道な運命を耐え忍ぶ
let be = 運命などの大きな存在に身を任せる
ハムレットは良い意味で、自分を縛っていたものから解放されたのでした。
彼は気高い生き方を求めすぎた結果、自分の許容範囲以上のことをやろうとしていました。
死を実感することで、ハムレットはそのことに気付いたのです。
シェイクスピア「ハムレット」まとめ
シェイクスピアの「ハムレット」という作品は、悩み苦しみ、そして悟る主人公のハムレットを非常に丁寧に表現しています。
ハムレットの悩み苦しむ姿勢は誰に対しても当てはまることです。
大きな目標を持っていながらも、熱情と理性の間で揺れ動くハムレットに多くの人が共感します。
だからこそ、今でも多くの人から愛される作品なのです。
以下記事のまとめです。
- シェイクスピアとはイングランドの劇作家・詩人である
- ハムレットは熱情と理性で揺れ動く、この理性の現れは近代化の象徴であり、”to be or not to be”でも表現される
- 心の目で見ることで、真実を見つけることができる
- 死の実感を通して、ハムレットは悟る
ぜひ参考にしてみてください。
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